イラク・シーア派のサドル師、4月9日の反米デモを呼びかけ+ファトワについて。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080403-00000463-reu-int

 4月3日、イラクシーア派強硬派指導者ムクタダ・サドル師が4月9日の反米デモを呼びかけ。写真は先月、バグダッドでサドル師の肖像を掲げるデモ参加者(2008年 ロイター/Ceerwan Aziz)

 [バグダッド 3日 ロイター] イラクシーア派強硬派指導者ムクタダ・サドル師は3日、バグダッド陥落5周年にあたる4月9日に、米国の「占領」に反対する100万人規模のデモを行うよう支持者に呼びかけた。

 サドル師は、シーア派の聖地ナジャフで支持派によって発表された声明で「拒絶の意を表明し、不当な占領者かつ国家と人類の敵に対して、また占領者による悲惨な虐殺に対して、声をあげる時がきた」とした。

その反米デモに何人集まるかで未来が変わるでしょうか。サドル氏は今ファトワを出せる立場を目指して猛勉強中だそうです。
サドル師 「反米」旗印、ポピュリストの才能発揮 米軍撤退後にらむ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080403-00000069-san-int

 【カイロ=村上大介】バスラなどイラクの中・南部地域を約1週間にわたり大混乱に陥れたイスラムシーア派反米強硬派指導者、ムクタダ・サドル師派の民兵組織マフディー軍とイラク軍の戦闘は、少なくとも460人の死者を出し、いったん終息した。マリキ首相は1日、作戦の「成功」を宣言したが、マフディー軍は温存され、依然、米軍の支援なしに政府軍が独り立ちするにはほど遠い現状を浮き彫りにした。政府軍と互角に戦った強力な民兵を動かすサドル師とは何者なのか。

                  ◇

 首相自らがバスラに乗り込み、陣頭指揮したマフディー軍掃討作戦は3月25日に始まった。首相は当初、民兵に対し「3日以内」の武装解除を要求し、「最後まで戦う」と強気だったが、次第に弱気に転じ、ついには水面下の交渉で
(1)マフディー軍の武装継続容認
(2)戦闘員の免責
(3)サドル師派メンバーの拘束停止
−というサドル師側の要求を受諾。これを受けて同師が30日に戦闘停止を命じ、事態はようやく収拾に向かった。

 サドル師は、イラクシーア派聖地ナジャフの有力なイスラム法学者の家系に生まれた。父親は、大アヤトラ(シーア派法学者の最高権威)で、多くの信徒に敬愛されたムハンマド・サドル師(1999年に何者かにより殺害)。イラクシーア派原理主義運動の創設者の一人だった大アヤトラ、ムハンマド・バーキル・サドル師(80年にフセイン政権下で処刑)はおじにあたる。

 しかし、サドル師はまだ30歳代前半で、本来、多数の信徒を率いる指導者が備えるべき法学知識も宗教的権威も持ち合わせていない。ナジャフの宗教学校時代はテレビゲームに興じ“落ちこぼれ”だったとの悪口も聞かれるが、それでも有力な家系を背景にサドル家の信徒に担ぎ上げられ、2003年のフセイン政権崩壊後、一気にシーア派社会の有力者の一角に躍り出た。

 フセイン政権時代にイランに亡命し、イラク戦争後に帰還したイラクイスラム革命最高評議会(07年にイラクイスラム最高評議会=SIIC=と改称)のハキーム師や、一時は米国からテロ組織の指定も受けたマリキ首相所属のダアワ党など、亡命シーア派反体制勢力がイラク戦後の空白を埋めようとする中、サドル師はサドル家支持者が結束する“旗印”となったわけだ。

 イランにより訓練されたSIICのバドル軍団とは異なり、マフディー(救世主)軍は戦後に数千人規模で組織されたが、現在は推計6万人の兵力を擁するとされる。親米姿勢に転じ、政府治安部隊への浸透を通じて影響力拡大と米軍撤退後の主導権を狙うバドル軍団とは対照的に、サドル師派は「反米」「反占領」を旗印として民兵を維持し、低所得者層への大衆的な支持を広げる。

 06年春に発足した本格政府では当初、マリキ首相を支えたが、米軍の撤退期限を設けることを拒否する首相とたもとを分かった。米軍がマフディー軍を「イラク最大の脅威」とみて標的とする気配をみせると、速やかに「停戦」を宣言し、同軍を潜伏させるなど政治的嗅覚(きゅうかく)は鋭い。欠落する宗教的権威を身につけるため、サドル師はいま、ファトワ(宗教裁定)を下せる立場を目指してナジャフで猛勉強中だと、側近は明らかにしている。

 まだ若いサドル師にとって、狙いはあくまでも米軍撤退後のイラクの主導権を握ることだ。そのためには軍事力の裏付けは欠かせない。今回、「民兵解体」を目標としたマリキ首相にとって、戦いはまだ「第一幕」が終わったに過ぎない。

勉強にどれくらい時間がかかるのか分かりませんがどんなファトワを出そうとしてるんでしょうか。神のみぞ知るですか。

追記: デモ中止になったようですね。
フセイン政権崩壊から5年、治安改善の兆しなく
* 2008年04月09日 23:31 発信地:バグダッド/イラク
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2375911/2813223

【4月9日 AFP】イラクフセイン(Saddam Hussein)政権が崩壊してから5年目を迎えた9日、外出禁止令の続くバグダッドのシーア(Shiite)派地域サドルシティ(Sadr City)で戦闘が起こり、7人以上が死亡した。

 イラク政府高官によると、バグダッド東部のサドルシティで迫撃砲3台による攻撃が繰り返され、少なくとも7人が死亡、24人が負傷した。サドルシティは、シーア派の反米指導者ムクタダ・サドル(Moqtada al-Sadr)師の拠点となっている。

 迫撃砲のうち一発は家屋に着弾し、子ども2人を含む家族3人が死亡したほか、前週の攻撃による死者の弔問を準備していたテントにも砲弾が直撃した。また、医療関係者によると、早朝にかけてシーア派地域一帯で広がった衝突で、そのほかに6人が死亡、15人以上が負傷した。

 サドルシティでは、サドル師傘下の民兵組織「マフディ軍(Mahdi Army)」と米軍・イラク軍との戦闘が6日から続いており、地域一帯は破壊され、55人以上が死亡、多数が負傷している。
 
 サドル師は前週、米軍侵攻によるフセイン政権崩壊5周年となる9日に、バクダッドで「100万人規模」反米デモの実施を呼び掛けていたが、8日になって「イラク人の血を無駄に流さないために」中止すると発表した。

 政権崩壊5周年に向けて、イスラム教スンニ(Sunni)派武装勢力による自動車爆弾による攻撃を阻止するため、バグダッド市内路上からは自動車やトラックなどが撤去され、9日午前5時から深夜までは車両の通行禁止も発表された。

 またAFP特派員によると、フセイン元大統領の故郷ティクリート(Tikrit)でも終日外出禁止令が実施された。

フセイン政権打倒から5年

 米軍は、イラク侵攻から3週間後の2003年4月9日、フセイン政権を打倒した。

 しかし、政権崩壊から5年が経過した今でも、シーア派を中心としたイラクの新政権と米軍は、国内の紛争を抑え込めずにいる。すでに国内の戦闘で数万人が死亡し、イラク国民400万人以上が避難民となっている。

 イラク国民にとって、サダム政権崩壊からの5年間は、混乱と流血の日々だった。

 Sarah Yussefさん(25)は、「米軍の戦車がバグダッドに乗り込んできた時、私は喜び、そして希望に溢れていた。イラクが裕福になり、先進国となる日がくると夢見ていた。しかしそれ以来、苦難と破壊の悪夢の日々が続いている」と述べた。

 米軍の侵攻以来、イラク戦争で数万人のイラク民間人が死亡した。世界保健機関(World Health Organisation、WHO)によると、2003年3月から2006年6月の期間だけで、イラクで10万4000人から22万3000人が死亡したとされる。(c)AFP/Jay Deshmukh