中国で一党独裁批判の声明=ネットで学者ら303人署名

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081210-00000067-jij-int

 【北京10日時事】中国人学者や作家ら303人が共産党一党独裁を批判し、人権擁護などを求めて署名した「08憲章」と題する声明が10日、インターネット上で発表された。世界人権宣言の採択60周年に合わせて出されたもので、中国で大勢が実名で公然と一党独裁を批判するのは異例

 署名したのは、故趙紫陽元党総書記のブレーンだった鮑※(※=杉の木を丹に)氏、天安門事件で息子を亡くした丁子霖氏ら。

08憲章こちら↓で日本語訳が読めます
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/597ba5ce0aa3d216cfc15f464f68cfd2

中国の政治と言うのも独特なようで、趙紫陽氏や鮑丹彡氏や丁子霖氏について追ってみようと思います。
2005/01
趙氏葬儀 失脚指導者に異例対応 党ナンバー4が参列
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050130-00000012-san-int

 【北京=伊藤正】二十九日行われた趙紫陽氏の告別式では、趙氏の「名誉回復」はなかった。しかし中国共産党指導部は、序列四位の賈慶林・党政治局常務委員を告別式に出席させるなど、失脚指導者への対応では異例の礼を尽くした。これは党内外にある趙氏への同情に配慮したもので、将来の名誉回復に道をつけたともいえる。

 十七日の死去以来、遺族側は、天安門事件趙氏にかぶせられた「党分裂」の罪状の撤回と過去の功績を評価した弔辞を当局側に要求。当局側は事件の再評価につながる弔辞は拒否した。告別式に関する新華社報道は、弔辞に代わる党の公式見解だった。

 同報道では天安門事件での「重大な過ち」を指摘する一方で、過去の「貢献」を評価している。この点は天安門事件後の中央委員会総会で李鵬首相(当時)が行った趙氏断罪の報告が、趙氏の誤りを列挙、功績を全否定したのとは大きく異なる。

 総書記解任後の十五年半軟禁された趙氏には、万里、田紀雲、任仲夷氏ら改革派長老はじめ多くの人が同情、天安門事件見直しの声も広がっていた。注目すべきは、趙氏が危篤に陥った後、曽慶紅・党政治局常務委員が病院に見舞ったことだ。曽氏は趙氏死去後も自宅を訪れ弔問したという。

 中国筋によると、曽氏は党中央内で趙氏の葬儀を丁重に扱うよう主張したとされる。曽氏は告別式にも参加の意向だったが、外遊中のため、曽氏に近い賈慶林氏が参列したという。

 趙紫陽氏と敵対した江沢民前総書記の腹心の曽氏の行動は、さまざまな憶測を呼ぶ。

 その一つは、事件当時、趙氏の補佐役だった温家宝首相が趙氏再評価に消極的なのを目にした政治的行動というものだ。事件見直し論議への一石になる可能性もあるようだ。

     ◇

 ■党と人民に有益な貢献 新華社報道

 国営新華社通信が二十九日伝えた趙紫陽元総書記の告別式に関する記事は次の通り。

 趙紫陽同志は病気治療のかいもなく、二〇〇五年一月十七日、北京で逝去した。八十五歳。趙紫陽同志の遺体は本日、八宝山革命公墓で火葬された。

 賈慶林賀国強、王剛、華建敏らの同志が中央指導部同志を代表し、趙紫陽同志の遺体を見送るために八宝山革命公墓に赴き、親族を慰問した。

 (経歴部分は省略)改革・開放の前期、趙紫陽同志は中央と国家の重要な指導的職務を相次いで勤め、党と人民のために有益な貢献をした。一九八九年春から夏にかけての政治風波の中で、趙紫陽同志は重大な過ちを犯した。

 趙紫陽同志の病状が重くなる中、中央は関係部門に対して彼の生活と治療に関して適切な対応を取るよう指示し、特に医療チームをつくって積極治療を行った。趙紫陽同志の臨終の時は、曽慶紅同志が中央指導部同志を代表し、病院を訪れて見舞った。

 (告別式には)党中央弁公庁、中央組織部、国務院弁公庁、全国政協弁公庁などが花輪を贈った。趙紫陽同志の親族、身辺の職員、生前の親友、故郷などの地方代表、中央と国家機関の代表も送別に訪れた。(中国総局)(産経新聞) - 1月30日2時38分更新

さかのぼって
2004/08
天安門事件の15日前、トウ小平氏が「江総書記」指名
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040802i401.htm

 【北京=藤野彰】1989年の中国民主化運動の際、最高実力者のトウ小平・中央軍事委員会主席が、天安門事件(6月4日)の15日前にあたる、北京の戒厳令布告当日に、江沢民氏の総書記抜てきを指導部に提議していたことが、中国共産党の最新公刊資料で確認された。

 トウ氏による江氏抜てきは「定説」とされているが、いつどんな場で決めたのかはナゾだった。資料は、トウ氏が早い段階で趙紫陽総書記の更迭を決め、「動乱」鎮圧に向けて政局を終始主導した経緯を初めて詳細に明らかにしている。

 この資料は中共中央文献研究室編「トウ小平年譜(1975―97)」。トウ氏の初の詳細な公式年譜で、これまで未公開だった動静記録や談話を多数収録している。

 それによると、トウ氏は民主化デモが拡大していた89年4月25日、楊尚昆国家主席李鵬首相を自宅に呼び、「これは普通の学生運動ではなく、動乱だ。旗印を鮮明にして反対し、阻止しなければならない。国際的な反応を恐れるな」と指示。党機関紙「人民日報」が翌26日に発表した社説「旗印を鮮明にして動乱に反対せよ」はこの談話を踏まえてまとめられ、「動乱」鎮圧への基調を定めた。

 5月13日には、運動鎮圧に消極的な趙総書記を前に、「(運動を指導している)非合法学生組織を認めるわけにはいかない」と圧力をかけたほか、同17日には戒厳令布告を決めた政治局常務委員会の多数派を支持する発言を行い、運動への譲歩を訴える趙氏の孤立化を決定付けた。トウ氏は遅くともこの時点で、趙氏の更迭を最終決断していたと見られる

 北京に戒厳令が布告された5月20日午前、トウ氏は自宅に陳雲・党中央顧問委員会主任、李先念・政治協商会議主席ら長老と李鵬首相、喬石・党中央規律検査委員会書記ら政治局主要幹部を呼んで会議を開催。趙総書記は出席しなかった。この席で、トウ氏は政治局員兼上海市党委書記の江沢民氏を次期総書記に登用するよう提議した。

 出席者の顔ぶれから判断すると、同会議は実質的な党最高首脳会議。トウ氏の政治的影響力の大きさから見て、江沢民抜てきはこの時の“ツルの一声”で大筋確定したと見られる。

 江氏の総書記就任がトウ氏じきじきの指名だったことが公式確認されたのは初めて。このことは、党のトップ人事が党規約の定める手続きを経ない段階で事実上決められたことを示しており、トウ氏を頂点とする長老グループが政局を完全に牛耳っていた実態を物語っている

 資料は、運動鎮圧の最高責任の所在を図らずも明らかにしているが、天安門広場の武力鎮圧が行われた6月4日とその前後数日間についてはトウ氏の動静を記述していない。国民の間に事件の名誉回復を求める声も根強い中、事実を公開するにはなお政治的に微妙な問題が多いことをうかがわせている。(トウの字は「登」におおざと)

しかし
2006/01
趙紫陽氏一周忌、追悼の市民排除 中国、再評価せず
http://www.sankei.co.jp/news/060117/kok063.htm

 1989年の天安門事件で失脚し、昨年1月に死去した趙紫陽・元中国共産党総書記の1周忌の17日、北京市自宅周辺では多数の警官が警戒に当たり、関係者によると、追悼に訪れた市民約100人を排除、多数を拘束した。胡錦濤指導部は昨年11月、80年代に趙氏とともに改革を推進した胡耀邦・元総書記について事実上の名誉回復を行ったが、趙氏については再評価する考えがないことをあらためて明確にした形だ。

 趙氏の家族によると、17日は自宅で身内による追悼会を開催。遺骨は、党幹部らを埋葬する「八宝山革命公墓」への埋葬を当局が認めなかったため、今も自宅に保管されている。

 中国当局天安門事件を「政治風波(騒ぎ)」と位置付け、民主化運動への武力弾圧を今も正当化。趙氏の1周忌でも、治安当局が記念集会開催を呼び掛けた男性を事前に拘束し、民主活動家約30人を自宅軟禁下に置くなど、市民や活動家らによる追悼の動きに対し力ずくで抑え込みを図った。

 中国では天安門事件当時に民主化運動に参加した学生らが批判した「官僚の腐敗」が一層深刻化、貧富の格差拡大に対する不満も強まり、各地で抗議行動が相次いでいる。胡指導部は、民主化要求への対応を緩めれば社会の不安定化を招き、共産党一党支配への批判が噴き出しかねないとして警戒を強めている。

 国営通信の新華社は昨年1月、趙氏の葬儀の際に同氏が「党と人民に有益な貢献をした」としながら、天安門事件で「重大な過ちを犯した」と伝えた。しかし、趙氏の側近だった鮑●氏は16日に手記を発表し「民主制度を確立しない限り、中国の経済や社会は必ず危機に直面する」と指摘、本格的な政治改革を避けている胡指導部を批判した。(共同)

●=丹彡

(01/17 20:01)

ここで鮑丹彡氏も出てくるわけですね。

胡耀邦氏の名誉回復に関しては、
2005/11
18日に胡耀邦氏記念式典 中国共産党、再評価へ
http://www.sankei.co.jp/news/051117/kok065.htm

 中国共産党は1987年にブルジョア自由化」放任などと批判され失脚した同党の改革派指導者、故胡耀邦・元総書記が20日で生誕90周年を迎えるのを記念する式典を18日午前、北京の人民大会堂で開催する。民主化運動を武力弾圧した89年の天安門事件後、胡氏関連の公式行事は初めてで、事実上の再評価となる。

 胡氏の死去が一連の民主化運動の引き金となっただけに、民主化運動を「政治的騒ぎ」と位置付け、弾圧を正当化し続けてきた現指導部がどこまで踏み込んで胡氏を再評価するかが注目される

 消息筋によると、式典ではアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のため韓国訪問中の胡錦濤国家主席に代わって温家宝首相が記念演説をする予定。参加者は300人程度の小規模とみられる。香港紙は曽慶紅国家副主席も出席すると伝えた。

 胡耀邦は総書記時代に、文化大革命で批判された人々の名誉回復を積極的に図ったことに加え「清廉潔白な指導者」として国民に根強い人気がある。中国の消息筋は、現指導部が式典開催を通じて「深刻化する汚職などで低下している共産党の求心力向上」を図る狙いがあると指摘した。

 式典をめぐっては80年代に胡耀邦氏に仕えた経歴を持つ胡主席が開催に積極的なのに対し、温首相ら複数の党政治局常務委員は「社会の安定を損なう」として反対、当初予定された規模を縮小することで開催を決めたという。

 天安門事件で失脚した故趙紫陽・元総書記の側近だった鮑●氏は開催決定を評価した上で「(現指導部は)胡耀邦氏の精神を学ぶ必要がある」と強調している。

●=丹彡

 ■胡耀邦氏 1915年11月20日、湖南省の貧農の家に生まれ、33年に共産党入党。中華人民共和国の建国後は党の青年組織、共産主義青年団第一書記として、現在の胡錦濤国家主席を含む"胡耀邦人脈"の人材を育てた。文革で失脚したが復活、81年から党主席、総書記などとして近代化路線を推進した。87年、民主化を求める学生デモの責任を取らされて辞任、89年4月、死去した。死去をきっかけに学生が民主化要求デモを開始、同年6月の天安門事件に発展した。

(共同)

(11/17 19:17)

今年は
2008/01
死去3年 趙紫陽氏しのび弔問続々 長女「いつか再評価」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080118-00000072-san-int

 【北京=野口東秀】民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件で失脚した中国共産党趙紫陽元総書記が死去し、17日で3年を迎えた。趙氏は死去するまで自宅で16年間の事実上の軟禁生活を強いられ、今も名誉回復されていない。遺骨も自宅に安置されたままだ。同日までに北京市内の自宅には多くの弔問客が訪れ遺影は花束で包まれた。長女の王雁南氏(53)は産経新聞に対し、「中国の民主化は不十分」と述べ、政治改革の必要性を強調した。

 自宅前は、昨年に比べ当局者の姿が減り、花束を手にした記者を阻止しなかった。天安門事件で軍の銃撃により息子を失った丁子霖・元中国人民大学助教や、趙氏の長年の友人で、同事件について趙氏が語った本を香港で出版した宗鳳鳴氏も訪れたことが献花からわかった。故毛沢東主席の元秘書、李鋭氏らも訪れたという。政府側の献花はなかった。

 しかし、民主派作家の劉暁波氏は「(当局者の妨害により)外出できない」(同氏)状況天安門事件で子供を失った母親らが訪問できなかったほか、同事件で軍の発砲により片足を失った活動家は昨日から電話が不通になっており、当局は反体制的な動きへの警戒を緩めていない。

 長女の王氏は、「中国は言論の自由、司法の独立、権力に対する監督機能など民主化の程度がまだ足りない」と現政権に注文をつけた。

 趙氏は天安門事件で「重大な過ちを犯した」とされたが、王氏は、「その評価は間違っている。このことはほとんどの中国人が知っている」と述べた。現在、「政治風波(騒動)」と位置づけられてきた同事件の再評価への兆しもないわけではないが、王氏は、「いつ再評価されるかわからない。しかし一歩ずつ進み、いつかきっと再評価される」と指摘した。

ここで鮑丹彡氏と丁子霖氏が繋がるわけですね。