「全責任は自分にある」ポト派法廷で元収容所長

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090609/asi0906092214002-n1.htm

 カンボジアの旧ポル・ポト政権による大虐殺を裁く特別法廷の公判で、人道に対する罪などに問われたトゥールスレン政治犯収容所の元所長カン・ケ・イウ被告は9日、「上層部や部下に責任を押しつけるつもりはなく、同収容所で死亡した政治犯ら少なくとも1万2380人への全責任は所長の自分にある」と述べた

 被告はすでに起訴事実を認めており、改悛(かいしゅん)の情を明確にし減刑を狙う意図があるとみられる。特別法廷は同収容所に絡む死者数を約1万5千人とみている。(共同)

他人に責任を押し付けず全て自分の責任だと言うのも珍しいですね。

ポル・ポト派を裁く特別法廷も荒れてるようですが。
ポル・ポト派幹部裁く特別法廷で汚職疑惑、毎月と前職員暴露
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20090401/1238532853

ポルポト派裁判もよくわかってないのですが、情報が多いのはこちら↓
2006/08
裁かれるポル・ポト派、口閉ざす元幹部…捜査難航か
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060802id27.htm

 処刑や粛清、強制移住と過酷な労働、拷問と飢餓――。カンボジアで170万人とも言われる国民を死に追い込んだポル・ポト政権の元幹部に対する特別法廷検事の捜査活動が始まった。

 全土を“殺戮(さつりく)の荒野”に変えた同政権の崩壊から27年を経て、その責任追及を目指すが、元指導者らは自らの過去に口をつぐんだままだ。(プノンペンで 川辺徹)

 特別法廷は国連とカンボジア政府が設置。証拠収集を行う捜査判事も近く着任、訴追作業が本格化する。だが、虐殺に深くかかわったとされるタ・モク元参謀総長は関与を否定したまま先月、法廷が始動した直後に死亡、真相解明は出だしから大きな痛手を被った。

 仏教学校出身のタ・モク元参謀総長は、外国で高等教育を受けた幹部らの中では異色だ。元党関係者は「留学組の知識人と、武力で革命をリードした農民代表のタ・モクら二つの勢力をポル・ポトのカリスマ性が結び付けていた」と指摘する。参謀総長は1997年に最高指導者、ポル・ポト氏を拘束して実権を握ったが、この内部抗争で指導部は「崩壊」、ポル・ポト氏も98年、死亡した。

 党内序列2位で「ブラザー・ナンバー2」と呼ばれたヌオン・チア元副書記(80)は現在、タイ国境近くのパイリンで静かに暮らす。虐殺や粛清にかかわる治安政策を担ったと指摘され、処刑を直接命じたとの証言もあり、被告になる可能性が高い

 元副書記は本紙の取材に応じ、「治安は国防相の責任。私はかかわってない。処刑命令は国防相からだ」と虐殺などへの関与は否定。その上で「国民の死に対し、道義的な責任は共有する。法廷では私が弁護士役を果たす」と語った。また、「人間はいつか死ぬものだ」と、淡々と語った。

 「ブラザー・ナンバー3」と呼ばれた実力者、イエン・サリ元副首相(76)は、96年に政府に帰順、国王恩赦を受けており、訴追には議論も予想される。虐殺への関与は否定しているが、同氏署名の召還命令書で帰国した外交官の多くは闇に消えた。

 元副首相は、西部国境の宝石採掘や木材伐採で財をなしたとされ、現在、沈黙を守りながらプノンペン瀟洒(しょうしゃ)な自宅で暮らす。

 キュー・サムファン元幹部会議長(75)は自伝「カンボジア現代史と私の立場」を出版して大量虐殺への関与を否定、フランス人弁護士を雇い、法廷闘争に備えているという。

 元幹部らが自らの責任について口を閉ざす中、特別法廷の捜査は困難が予想される。党防衛の名の下で行われた処刑や虐殺の指揮系統解明には、関係者の証言や記録がカギだ。

 党中枢メンバーではないが、ヌオン・チア氏らの処刑指示について証言している人物がいる。政治犯を収容、虐殺したツールスレン尋問センターのカン・ケ・イウ元所長(63)だ。弁護士は「ポル・ポト代理人から個人や特定グループの『破壊』を口頭で命じられたと話している」と本紙に明かした。元所長は軍刑務所に収監され、4メートル四方の独房生活を送る。ポト派離脱後にクリスチャンとなり、今でも1日2回の礼拝を欠かさないという。

(2006年8月3日0時9分 読売新聞)