スラムから180人の子供が大学進学 NGOの支援で

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090826-00000578-san-int
 貧富と教育の格差が激しいインドの首都ニューデリーのスラムで暮らす約180人の子供たちが、地元NGO(非政府組織)「ASHA」の支援によってこのほど、国立デリー大学などへの入学を果たした。スラムからこれほど多くの子供が同時に大学へ進学するのは初めてだという。中でもこのうちの4割は、親に教育の機会を奪われることもある「重荷」とされる女子だ。夢の大学生になった子供たちは「将来は家族を貧困から救い出す」と誓いながら、大学で勉強できる喜びをかみしめている。(ニューデリー 田北真樹子)

 8日夜、ニューデリー市内で開かれたASHAの進学祝賀会。チダムバラム内相など約300人を前に、新入生を代表して壇上で堂々とスピーチする小さな女子学生がいた。ビーナ・クマールさん(19)だ。身長150センチほどの彼女は、台に乗って届いたマイクに向かってこう語った。

 「インドの女の子たちに伝えたい。恐れなければ困難は克服できるということを」

 ビーナさんはニューデリー南部カルカジ地区にあるスラムに住む。ここには4万人が暮らしているという。ブロックやビニールでできた家の間の狭い路地に入ると、悪臭が鼻をつく。溝の水は白く濁り、無数のハエがたかる。

 ニューデリーには400万人近いスラム居住者がいるとされる。スラムではアルコール、シンナー中毒、家庭内暴力などが日常のことで、ビーナさんの家庭も例外ではない。

 家族は本人を含め5人。父親はアル中で、暴力をふるうこともある。母親の刺繍(ししゅう)で生計を立てているが、月に4000ルピー(1ルピー=約2円)を稼げればいいほう。食事を1日3度とれない日もある。

 高校生になると、両親から「勉強をあきらめて、母親の仕事を手伝え」といわれた。学校を中退させられて働きに出たり、結婚させられたりする友達も出てきた。12年生(日本の高校3年生に相当)になって、また両親から勉強をあきらめろといわれ「ショックで何日も食事がのどを通らなかった」という。そんなビーナさんを支え、両親を説得したのがASHAだった。

 ASHAは1988年にニューデリー出身の女医、キラン・マーティンさんが立ち上げた。ニューデリー市内約50のスラムで、衛生・保健事情の改善や女性の地位、教育の向上などの活動を行っている。地元政府や日本を含む外国からの支援、寄付金が活動を支える。子供の高等教育への進学を支援する試みは昨年始まったばかりだ。

 インドでは大学入学のための全国共通テストの結果が、「人生の方向性を決定づける」(マーティンさん)。それだけに、有名大学への入学を目指す富裕層の子供は塾や家庭教師を雇って猛勉強する。しかし、スラムの子供たちは教科書さえ買えない。ASHAは、教科書を買い与え、過去の試験問題集や参考書を提供し、塾同然のワークショップも開催して支える

 ASHAの支援を受けながら、ビーナさんは学校から戻って家事をこなし、夜10時ごろから午前2、3時まで勉強した。朝6時半には起きて、家事を済ませてから登校する毎日だった。そうした努力が実り、今夏からデリー大学の文学士課程で学んでいる。家族では初めての大学進学者だ。

 インド全体では、大学進学率(2005年度)は男子13.54%、女子9.35%にとどまる。ビーナさんのようなカースト層でスラム出身者ともなると、進学する者はわずかだ。

 ASHAの支援を受けた子供たちの場合、学費を含め1人当たり年間6000〜1万ルピーかかる。スラムの1世帯当たりの収入はというと「月2000〜5000ルピー」(マーティンさん)で、学費の捻出(ねんしゅつ)は難しい。経済的な問題はもとより「親の考え方を変えることが最大の難関」(同)でもある。

 「家族の“重荷”だった女の子だって、あと数年すれば成功する。彼女たちは先駆者です」と、マーティンさんは誇らしげだ。ビーナさんに将来について聞いた。

 「世の中から尊敬される人になりたい。そして家族を貧困から救い出したい」

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まぁ今の日本はやはり恵まれているということですね。ただ、この記事も一部の人の成功例を誰もができると思ってはいけないのでしょうけど。