【ベトナム・インドシナ】離任の篠原カンボジア大使「日本が失う開発の夢、メコンで」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090827-00000007-nna-int
 篠原勝弘駐カンボジア大使が先週末、離任した。初めてカンボジアに赴任したのは1967年。24年間政権の座に就くフン・セン首相とはクメール語で会話する間柄の篠原大使に、変化するカンボジアメコンの将来像について聞いた。(聞き手・遠藤堂太)

 ──円借款事業の遅れに、カンボジア政府が不満の声を上げています。シハヌークビル港経済特別区(SEZ)事業について、フン・セン首相は今年4月、「昨年3月に借款契約が結ばれたが未だに着工できない。この間、経済危機で潜在的な投資家が逃げてしまった。サッカー場にするしかない」と発言しています──
 
 フン・セン首相の発言は、ユーモアの中に日本への期待が込められています。この演説直後にも話しましたが、カンボジア円借款事業は始まったばかりで、手続きの流れを理解していなかったようです

 
 一方、ここ数年、中国のスピーディーな支援供与が目立ち、プレゼンスを高めています。中国は道路を建設しながら中国製品の輸送や沿線のゴム園・鉱産資源開発を狙い、労働者も中国から来ます

 
 円借款事業の強みは、しっかりしたインフラを、技術移転を進めながら誠意を持って行うことですが、円借款にもスピードが求められることは、本省に何度か進言しました

 
 なおシハヌークビル港SEZは、受注業者も決まり9月下旬には着工の見込みです。

 
 ──日本は対カンボジアの最大の支援国で、内戦後も直接または国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)を通じて貢献してきました。ただ、カンボジア経済が離陸を果たそうとする今、日本の民間投資は全体の1%にも満たず、中国や韓国の後ろにかすんでいます──
 
 フン・セン首相の一昨年6月の訪日に同行した時、合同記者会見の前に「また、地雷は大丈夫ですかって聞かれるかな」と、冗談半分で言い合い、実際そうした質問が出ました。

 
 確かに70年代後半のポル・ポト大虐殺の影響は未だに残っています。人材やインフラ、国家の仕組みや制度構築が援助としてさらに必要です。しかし、カンボジア発の情報が地雷や貧困に偏り過ぎています。

 
 カンボジアの持続的な成長には良質な民間投資が不可欠です。カンボジア政府指導層は東南アジア諸国連合ASEAN)各国の経済成長を支えたのが日本の政府開発援助(ОDA)と民間投資であることを見ており、00年頃は日系企業の進出があると期待し、フン・セン首相も日本の財界関係者に会いました。しかし、日本企業は「電気代が高いなどインフラが不十分、投資手続きが不透明で環境が整っていない」として投資に消極的です。

 
 カンボジア側は、「外資規制がないメリットを生かし中国・韓国企業は進出しているが、友好国の日本はなぜ進出しない」という苛立ちがあります。こうした意識の溝を埋めるためにも、11日に開催した官民合同会議を通じた対話が必要だと考えます。しかし、日本の官民が適度なプレッシャーと努力目標を掲げ投資環境を改善したベトナムとは違う手法が、カンボジアでは求められます。

 
 ──都市部では「レクサス」を乗り回す富裕層が増える一方、農村との格差が広がっています。識字率も7割程度です。また、知識層と話すと自己主張が激しく、隣国のタイ人やラオス人と同じ小乗仏教徒なのに違和感を覚えることもあります。カンボジア人は変わったのでしょうか──
 
 タイとベトナムによって領土が狭められたのがカンボジアの歴史です。しかも、フランス植民地時代からポルポト内戦後まで米国、中国、ソ連の影響を受けてきました。フン・セン首相もベトナム派と言われます。他国から見れば「自国がしっかりしていないからだ」と言われかねませんが、カンボジアは常に大国に翻弄されてきた犠牲者でした。

 
 99年にASEANに加盟し、地域間協力が進む一方、「過去のように大国に振り回され、辛酸をなめるのは嫌だ」という意識が若い世代に芽生えました。独自性を維持しなければ、地域統合に飲み込まれるという恐れもあり意思表示が強い傾向があるのではないでしょうか。

 
 しかし一般のカンボジア人は、普段はニコニコして穏やかな気性で昔から変わりません。僧侶と一緒に農村を歩いた60年代、農民は豊作だとお寺に寄進し、貯蓄の概念や心配がないほど豊かでした。今は農地が細分化されたことや農産物価格の情報が伝わらないこと、医療保障の不備などが貧困の要因です。他国の発展段階以上に経済格差は激しいです。

 
 ただ、農村は未だ貧しいとはいえ小さな幸福感に満たされています。農民でも日本製のバイクが買えるようになったのです。

 
 こうした農村のODAは今後、各地の土壌に応じた品種の導入、販路の開拓・情報構築を中心にするべきでしょう。日本の農産関連会社がノウハウを提供し、有機栽培作物として輸出しながら、学校教育や医療施設を拡充し、村落の自立発展を促す官民支援が良いと思います。

 
 ──10年後のカンボジアメコン地域の将来と、日本の官民の貢献はどうでしょうか──
 
 ベトナムと同様、沖合油田開発が投資誘致にプラスに作用することに期待します。10年後のカンボジアは、農業の生産性や付加価値を高め、大都市ホーチミン市バンコクへの食料供給地として、あるいはタイ・越の労働集約型産業を補完する国として活用されるでしょう。日本も深く関与すべきです。

 
 日本は1969年、第2次全国総合開発(新全総)として80年までの目標で高速道路や新幹線などの交通ネットワークや、新産業都市などの大規模工業開発を進めました。しかし今の日本は、高齢化で経済が縮小する中で夢を失い、企業は海外展開で生き残りをかけています

 
 成長センターの要であるメコン開発の夢を、日本の高度な技術による環境調和を図りながら実現させてはどうでしょうか。大メコン圏(GMS)として、アジア開発銀行(ADB)がシナリオを描いていますが、日本も5年ごとに改訂しながらメコン開発のグランドビジョンを描き、各支援国との調整も図るのです。

 
 この中に経済産業省や東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)が構想する東アジア産業大動脈の一部も入るでしょう。高速道路建設による都市間所要日数の短縮ではなく、2020年の国内総生産GDP)や産業構造変化の予想図や青写真が、各国は欲しいはずです。ERIAだけでなく、民間企業・シンクタンクの意見を積極的に活用し、地域間連携に日本の高度な技術と知恵が適用されるべきですし、メコンの成長に、日本経済も救われるのです。安い製品を調達・販売する中国とは一線を画します。
 
 カンボジアの本当の期待は、隣国や中国の開発ではなく、発展と利益を長期的に考える日本であり、それに応える長期的視野が我々に求められているのです。カンボジア

カンボジアも中国と日本が競い合っているようですが
政府、カンボジア円借款 港湾整備を支援
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20090816/p3

見出し記事の最後の一文、カンボジアの本当の期待は、隣国や中国の開発ではなく、発展と利益を長期的に考える日本というのは信じていいんですかね。