82年に核兵器用ウラン提供=中国がパキスタンに−米紙

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091113-00000185-jij-int
 米紙ワシントン・ポスト(電子版)は13日、パキスタンが1982年に中国から核兵器2個分に相当する高濃縮ウランの提供を受けていたと報じた。同紙が入手したパキスタンの「核開発の父」カーン博士直筆の文書に記載されていた。

 同文書によると、パキスタンの宿敵インドが74年、初の核実験を成功させたのを受け、パキスタンのズフィカル・アリ・ブット首相(当時)は76年半ば、死去直前の中国の毛沢東主席との間で核兵器開発協力の約束を交わしていた。これに基づき82年、中国・新疆ウイグル自治区ウルムチの空港からパキスタン軍機に載せられた高濃縮ウラン50キロがカーン博士に届けられた

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これは別に驚くことではないんじゃないでしょうか。
パキスタン核管理に米軍が協力態勢と 米誌報道
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20091110/p2
でも紹介した

インド対パキスタン―核戦略で読む国際関係 (講談社現代新書)

インド対パキスタン―核戦略で読む国際関係 (講談社現代新書)

ですが、p99〜次のような記述があります。

米国が早い段階でパキスタン核兵器開発を知っていたという証拠は二つある。74年9月に米中央情報局(CIA)は「核兵器の将来の見通し」と題した報告書を発表し(これは74年5月のインドによる初の核実験を受けて急ぎまとめられたもの)、「パキスタン核兵器開発を完了するには少なくとも10年かかるが、外国の支援を得ればもっと早くできるだろう」と指摘したことが第1。第2は、フランス国営原子力メーカー、SGNがパキスタン政府との間で契約したプルトニウム濃縮のための再処理施設(イスラマバード南西180キロの砂漠の町チャシュマに建設を予定していた)建設プロジェクトについてフランス政府に圧力をかけて、78年6月に破棄させたことだ。これは当時のジミー・カーター政権が、パキスタン核兵器開発をはっきり認識していたことによる。

ところが79年12月に事態は一変する。ソ連軍が突如としてアフガニスタンに侵攻したためだ。

その後89年にソ連アフガニスタンから完全撤退するまでカーン博士は心置きなく核兵器開発に専念、87年にはウラン型原爆の最初の構成要素が完成とあります。アメリカはこのやり取りも知っていて見逃したんじゃないですかね。