【イチから分かる】『北方領土問題』 露大統領訪問は方針の大転換
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101110/erp1011101416008-n1.htm
ロシアのメドベージェフ大統領がソ連・ロシア史上、最高首脳として初めて北方領土の国後島を訪問し、さらに色丹、歯舞両島を訪問する構えをみせている。しかも、色丹と歯舞はソ連が「日ソ共同宣言」(1956年署名)で日本側への引き渡しに同意した島々であり、訪問すればソ連が認めた同宣言の法的効力を一蹴(いっしゅう)することにつながる。日本固有の領土を「国内視察」の名目で訪れる姿勢は、ロシアの対日交渉方針の大転換を意味し、領土交渉はかつてない危機にひんしている。(佐藤貴生)ロシアの領土固定化戦略は2007年以降、新たな展開をみせている。クリール諸島(日本の北方領土と千島列島)を対象に「社会経済発展計画」に着手し、15年までに総額179億ルーブル(約472億円)を投下してインフラ整備を図るものだ。大統領の国後島訪問は、この計画の進捗(しんちょく)状況を確認するという建前で行われた。
択捉、国後、色丹、歯舞の北方四島は1945年8月9日、日ソ中立条約を破棄して対日参戦したソ連が、同28日から9月5日までの間に占領した。日本のポツダム宣言受諾と降伏文書への署名を無視して占領行動を続けたことは、消しがたい歴史上の事実だ。
ソ連・ロシアが対日参戦の根拠に挙げるのは、米英首脳と交わした「ヤルタ協定」(45年2月)。同協定は、ドイツ降伏の2、3カ月後をめどにソ連の対日参戦を求めている。しかし、これは連合国間の密約にすぎず、領土問題に何ら影響を与えないことは米国も認めている。
また、米英首脳が署名し、ソ連も参加表明した「大西洋憲章」(41年)は戦争による領土拡張を求めないとうたっており、ソ連はこの原則を引き継いだポツダム宣言にも参加している。ロシアが唱える「戦争の結果としての領有権獲得」という論理は自己矛盾そのものだ。
ソ連はこうした点を覆い隠した上、60年の日米安保条約改定を機に、「日本からの外国軍隊の撤退」を求める新たな条件を一方的に日本側に課し、日ソ共同宣言を履行しない姿勢に転じた。交渉が本格化したのはソ連崩壊後のことだ。
エリツィン元露大統領時代には、領土問題は四島の問題で、「法と正義の原則」を基礎に解決するとした東京宣言(93年)に署名。98年の静岡県川奈での会談で橋本龍太郎首相(当時)は、「択捉島とウルップ島の間に国境線があることを認めれば、四島の施政権は当面、ロシアに委ねる」という、かつてない柔軟な立場(潜在主権論)を提示したとされる。
その後も日本政府は、色丹、歯舞の返還と国後、択捉の帰属問題を別個に協議する「同時並行協議」を提唱したほか、政治家や研究者からは北方領土の「面積折半論」などが示されたが、いずれもロシア側を動かすことはできなかった。
日本政府の自粛要請にもかかわらず、今年はロシアのビザ(査証)を取得して北方領土に入る日本人が後を絶たない。こうした日本側の足並みの乱れも、大統領の北方領土訪問というロシアの傲慢(ごうまん)な姿勢を許すことにつながっている。
◇◆江戸時代から択捉島以南を統治
北方領土の総面積は5036平方キロで、千葉県の広さにほぼ等しい。徳川時代の1644年、松前藩が「クナシリ(国後)」「エトホロ(択捉)」などの島名を記したものとしては世界最古の地図「正保御国絵図(しょうほうおくにえず)」を作成した。当時の幕府は択捉島以南の島々に番所をおいて統治した。ロシア側がこの周辺に姿を現したのは17世紀末になってからだ。
その後に結ばれた日魯通好条約(1855年締結)も「択捉島とウルップ島の間」を国境と定めた。全権代表を務めたプチャーチン提督は「択捉島は日本の領土であることが証明された」と述べており、時の皇帝ニコライ1世も北方領土に属する地域は日本領と認めていたことが分かる。
ソ連は1945年以降、約3年のうちに日本人の全島民1万7千人以上を強制退去させた。以来、固有の領土であるにもかかわらず、四島に日本人は一人も定住していない。
◇
◆北方領土をめぐるメドベージェフ大統領の主な発言
・「問題の解決を次世代に委ねることは考えていない」(2008年11月、麻生太郎首相との会談で)
・「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」で解決を目指す(2009年2月、同上)
・「クリール諸島(日本の北方領土と千島列島)におけるロシアの主権を疑問視するような試みは、平和条約交渉の促進につながらない」(2009年5月、北方領土について「ロシアの不法占拠が続いている」との麻生首相の発言を受け)
・「1956年の(日ソ共同)宣言が唯一の法的根拠がある文書」(2009年7月、伊ラクイラ・サミットの記者会見で)
・「この問題から逃げるつもりはない」(2010年4月、鳩山由紀夫首相との会談で)
・「近いうちに必ずそこ(北方領土を含むクリール諸島)に行く」(2010年9月、ロシア極東訪問で)
・「ここでの生活はロシア中央部と同様に良くなる」(2010年11月、国後島で)
まぁ
- 作者: 下條正男,田中弘之,照屋健吉,児玉泰子
- 出版社/メーカー: 自由國民社
- 発売日: 2002/12
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
を買っているので読み比べてみれば一番いいのですが、今日はちょっと時間が無いので、週末にでもできればと。あまり期待しないで待ってください。覚えてる範囲で言うと日本が千島列島を放棄してロシアは千島列島には北方領土4島も含まれると主張しているだと思いました。