独島:「鬱島郡」の行政指針、日本編入以前の支配立証

http://www.chosunonline.com/news/20110105000049
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記事入力 : 2011/01/05 19:01:35

独島:「鬱島郡」の行政指針、日本編入以前の支配立証

 110年前に大韓帝国が独島(日本名・竹島)を実効支配していたことを示す証拠となり得る、当時の治安・行政に関する史料が初めて公開された。

 慶尚北道の独島史料研究院は4日、1900年10月に「大韓帝国勅令41号」により鬱陵島が鬱島郡に昇格した1年半後の1902年4月当時の同郡の治安・行政状況を記録した「鬱島郡節目」(行政指針)と呼ばれる文書を公開した。この史料は大韓帝国が勅令41号を宣布後、「鬱陵全島と竹島・石島」を支配していたことを示している。(編注・韓国側の見解で、ここで言う「竹島」は鬱陵島そばの小島、「石島」は独島を指す

 鬱陵郡は昨年10月、郡設置110年を記念する「郡民の日」のイベントに初代鬱島郡守(郡の首長)を務めたペ・ゲジュ氏の子孫と、日本による独島編入を最初に上部に報告した沈興沢(シム・フンテク)郡守の子孫を招待した。

 その際、ペ氏のひ孫に当たるイ・ユミ氏が鬱島郡とペ氏に関する史料を所蔵していた事実が明らかになった。1902年当時の内部大臣(内務大臣)の印章が押されたこの史料には、「節目」のほか、ペ氏を郡守に任命する「教旨」(国王による辞令)、ペ氏や息子、孫たちの写真などが含まれている。

 節目には、▲日本人が密かに木材を伐採することを厳禁する▲家屋と田畑の外国人による売買禁止と違反者処罰▲官庁は補修して使用し、民間に迷惑をかけないこと▲商船と貨物に課税すること▲官吏(かんり)に給与を支払うこと―などが定められている。

 慶尚北道は「鬱陵島の事情に詳しいペ氏から同島の現況について報告を受け、内部で必要な行政指針を『節目』として設けたとみられる」と説明した。

 この節目に関する研究は、韓国海洋水産開発院(KMI)のユ・ミリム博士によって進められてきた。ユ博士は「ペ氏は鬱陵島の事情に詳しく、1895年から島監(鬱陵島の行政責任者)を務め、日本人による鬱陵島侵奪を阻止するために訴訟も辞さなかった人物だ。鬱陵島に学校を設立し、同島の状況を直ちに上部に報告する任務を遂行していたことが分かっている」と指摘した。

 ユ博士はまた、「これまで勅令41号によって鬱陵島が鬱島郡に昇格した事実は知られていたが、鬱島郡が実際にどのように統治されていたかを記した史料はまれだ。今回の史料は中央政府による鬱島郡の管理実態を記録した具体的な史料で、学術的な価値がある」と説明した。

 節目には独島に関する直接の記述はないが、ユ博士は「『鬱陵全島と竹島・石島』を管轄していた鬱島郡守に下された行政命令であるため、1905年に日本が独島を無人島と判断し、日本領に編入する以前に、大韓帝国が(独島を)実効的に支配していたことを示す証拠となる価値がある」と主張した。

崔宰熏(チェ・ジェフン)記者

朝鮮日報朝鮮日報日本語版

なんかもう読む気力も無いんですけどねw
http://news-net.ddo.jp/cgi-bin/estseek.cgi?phrase=%E9%AC%B1%E9%99%B5+%E7%9F%B3%E5%B3%B6&perpage=100&clip=-1&navi=0&attr=&order=_date_

によると石島で関係ありそうなの2件ありますね。
2005/03
「日本語の『竹島』は『独島』に由来」

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/29/20050329000036.html

 独島(トクド)の日本式名称である「竹島」は韓国語の独島(トクド)から由来したという独特な主張が持提起されている。

 韓国地名学会(会長イ・ヒョンソク)は29日、独島の「独(トク)が」音韻変化などによって「竹(タケ)」に変わっており、しかも島を意味する「島」がついて「竹島」になったもので、結局、竹島は韓国名称の独島から由来したと主張した。

 従って竹島という日本の地名そのものを見ても、独島が韓国領土であることが認められると同会長は述べた。

 同学会によると、1900年10月25日大韓帝国勅令第41号が掲載されている官報には鬱陵(ウッルン)郡守の管轄区域を「鬱陵島全体と…石島(ソクト)を管轄…」と告示している。

 このうち、石島の「石」は慶尚(キョンサン)・全羅(チョンラ)地方の方言では「トク」となり、石島が結局「トク(独)島」になったという説明だ。

 このように鬱陵島現地で呼ばれている独島の「トク」が日本人によって、「トク→トケ→タケ」に転訛(てんか)し、「島」が付いて「竹島」となった結果、一本の竹もない独島が「竹島」になったという解釈だ。

チョソン・ドットコム

2008/11
内藤正中氏「竹島は日本の領土ではない」(下)

http://www.chosunonline.com/article/20081122000020
―韓国政府の対応姿勢は?

 「日本政府のようにホームページで詳細な見解を明らかにすればよいと思いますが、わたしの知る限りでは具体的な見解は出ていないようです」

―先生は、独島は日本の領土ではないとおっしゃいました。そうかといって、韓国の領土と主張したこともありませんが。

 「竹島が日本の領土ではないと証明しましたが、韓国の領土と証明することもできなかったということです。最も重要な部分は、1900年の大韓帝国の勅令41条での『石島』という名称が現在の竹島に当たるということを証明することだと思います(当時、韓国政府は勅令41条で鬱陵島を鬱島と改め、竹島と石島を併せて鬱島郡を設置した)。これを証明すれば、わたしたちも『独島は韓国の領土』ということを素直に認めるようになるでしょう。これまでのところは、当時鬱陵島全羅道出身者が多く、全羅道の方言で石(トル)を『独(トク)』と発音したことから、漢字で『石島』と表記しながら『独島』と呼んでいた可能性があり、これが『独島』に変わったと推論する程度です」

―韓国ではいつか日本が武力で独島を奪うと想定しています。

 「1905年に日本が竹島を強奪したのは、東海(日本海)でロシア・バルチック艦隊との戦いを想定していたからです。島に監視台を設置し、軍艦が行き交うのを偵察するのが目的でした。このような必要性が日本に再び生じるかの問題ですね。1949年に米国が対日講和条約第6次草案で、韓国の領土と認められていた竹島を日本の領土に変更したのも、独島にレーダー基地を設置するという安全保障上の問題からでした。日本はこういったケースでは必ず行動に移しています」

―再びロシアと軍事的に対立する状況になったら、100年前のように独島強奪を試みるでしょうか。

 「いま竹島の上にレーダーを設置する必要がありますか。ないと思います」

神奈川=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
朝鮮日報朝鮮日報日本語版

石島が独島であることは証明できたんですかね。

日本側は
竹島問題 韓国の主張覆す古地図見つかる
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20100823/p1
と言っていましたが。