「日本問題」について

国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序 (中公新書)

国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序 (中公新書)

から引用です。

かなりの長文ですがぜひとも読んで欲しい文章です。「日本問題」と言っても別にこの問題を指す固有名詞ではなく便宜上使っているだけの言葉ですが。

p15〜
次第に日本が国際社会の中で重要性を増し、同時に既存の国際秩序から受ける恩恵が大きくなるにつれ、高い理想を掲げつつも自らの利益を追求する姿勢は、世界の日本に対する苛立ちを強めさせる結果となった。その一例を、湾岸危機から湾岸戦争にかけての日本の対応に見出すことができる。イラククウェートに軍事侵攻したことで始まった湾岸危機において、日本はイラクの武力侵攻を批判した上で、問題の平和的解決を訴えた。それは誰にも文句のつけようのない、道徳的に高い立場であった。しかし、アメリカ主導下の国連によって多国籍軍が派兵されると、この軍隊は真の国連軍ではないとか、アメリカは自国の利益のために行動しているという偽善を批判する声が強まった。日本政府の多国籍軍への協力が消極的で遅かったのも、法的な制約だけでなく、むしろこうした国内の雰囲気を反映した面があった。他方で、イラククウェートにいた日本人の一部がイラク政府によって出国を拒否され、人質状態に置かれると、邦人の早期解放を求める世論は強まり、紛争の行く末はどうなろうとも、無関係な邦人をともかく無事に開放させることが何よりも優先された

こうして湾岸の事態の際、日本の支配的な論調は、高い道徳的立場に立って侵略の悪と強国の偽善を非難しつつ、実際には自国の直接的な利害にだけ強い関心を示すものであった。たしかにすべての国は自国民の運命に第一義的な関心をもつ。しかし日本の場合、湾岸の事態に対して実質的に傍観者的立場をとりながら、邦人の解放のみに際立った関心を示した。もしそれが、国際政治に影響を与えない国家であれば、そうした態度をとることはやむをえないし、実害も少ないとして理解されたかもしれない。しかし当時、日本はかなりの力をもっていた。そうした国が国際紛争そのものに対する姿勢をはっきりさせず、クウェート国民を含めた他国民への配慮なく自国民の安全に突出した関心をもったことは、外から見た日本の立場を理解不能なものとした。湾岸戦争後のクウェートによる感謝広告に日本の名前が載せられなかったのは、日本が血も汗も流さなかったからではなく、日本独善主義にたいしる不満の表れと見ることができるのではないだろうか。

湾岸の事態にとどまらず、他者から見て独善的行動と見なされうる日本の行動は少なくない。たとえば日米間の貿易摩擦において、自由貿易を掲げながら輸入制限によって日本に圧力をかけてくるアメリカの独善を暴露し、自由貿易の原則を唱える一方で、農産物等については「死活的利益」として市場開放を避けようとした。あるいは内戦が収まった後のカンボジアに派遣された国連平和維持活動(カンボジア暫定行政機構<UNTAC>)に自衛隊および文民が参加した際には、自衛隊の安全確保に特段の配慮を要請し、他国の要員の犠牲には無関心でありながら日本人のボランティア、文民警察官に犠牲が出ると大量の報道がなされた。

こうした対外行動のパターンは、日本が軍事力を対外的に行使してこなかった戦後においても、完全には信用できない国であるというイメージを継続させてきた。日本は普段はおとなしいが、いったん暴れだすと何をするかわからない国、自己中心的な国、というイメージは戦前から戦後にかけて驚くほど変化していない。1935年、アメリカの東アジア専門の外交官マクマレーは「日本人は、表面的には感情を表さないように見えるが、実は深い憤りをひそかに育て、不意に逆上して手のつけられなくなるような国民なのだ。真の指導者と認めて忠誠を捧げている人たちによって抑制されなければ"とことんまで突っ走る"性癖がある」と評したし、1970年代のはじめにアメリカの国際政治者ブレジンスキーは「日本人にとっては、外の世界と有意義な関係をもつことが非常に難しく、ある程度の関係をもったとしても、それを自己中心的な姿勢以外の態度で捕らえることはきわめて難しい」と指摘した。アメリカの日本研究者ケネス・パイルも90年代はじめに「日本がその経済力をどのように使うのかが不透明であることについての疑問」としての「日本問題」の存在を指摘した。

こうした日本についてのイメージは、ある程度は日本に対する無知のなせるわざであったり、日本に対する悪意が含まれている場合も無いとは言えない。しかしなお、このように長期にわたって日本に対するイメージが変わらないことには、日本人の対外観の中にもやはり何か問題があると考えざるをえないのではないのだろうか。日本人の対外観の中に、国際政治を国益の闘争の場として捉える見方と、国際政治を理想の表明の場として捉える見方の二つが、分裂して同居していることに根本的な問題があるのではないだろうか。

多分この文章を読んだことが、僕に国際情勢に目を向けなければいけないと思わせたんだと思います。

日本が変わるべき点は、真の指導者と認められるリーダーを見つけることと、自国の直接的な利害以外にも関心を持つことではないでしょうか。

また日本に対する無知のなせるわざだから無知なやつが悪いともいえないと思います。日本人でも国際社会に関して無知な点はいくらでもあるだろうし、日本にだけは関心を持って欲しいと外国人に望むことは無意味だと思います。外国人に受け入れられる日本の主張と言うものを作ることも必要だと思います。

ともあれ平和憲法を守ってきた日本ですが、というかまさにそれが理由で、理想と現実が乖離しているような気がします。その事が海外から不信をかっても不思議だとは思いません。