エジプト政権崩壊、政府系メディアにも「革命」の波

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110216-00000704-reu-int


 2月15日、約30年に及ぶ強権体制崩壊を受け、エジプトの政府系メディアにも論調の変化がみられる。写真はカイロのタハリール広場近くで13日撮影(2011年 ロイター/Asmaa Waguih)

 [カイロ 15日 ロイター] 反政府デモが約30年に及ぶ強権体制を敷いたムバラク前大統領を辞任に追い込んだエジプト。そのムバラク体制を支えてきた政府系メディアも政権崩壊を受け、その論調に変化がみられている

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 政府系メディアは、11日のムバラク前大統領辞任直後、革命の勝利を宣言。1月25日から始まった反政府デモの報道姿勢を謝罪する記事を掲載した。

 独裁政権下で最も前大統領に忠実だった政府系新聞の一つ、アルゴムフリア紙の一面には「自由の日が輝く」との見出しが躍った。

 またアルアハラム紙は「市民の手で政権を倒した」と報道。同紙コラムニストは、ムバラク前大統領を「最後のファラオ」と呼んだ

 国営テレビの変化はさらに劇的で、ムバラク氏と親交のあったキャスターらが次々降板。2週間前まで国営テレビで取材活動を行っていたベテラン記者アミンさんは「(国営テレビは)報道内容を一変させた」と語った。

 またアミンさんは報道内容の変化について「表面だけではないことを願う」とした上で、「国営メディアの汚職が恐ろしいほどまん延しているため、秩序あるメディアにするためには相当な努力が必要」との懸念も示した。

 アミンさんは反政府デモ隊を外国に支えられた破壊者だと批判した国営テレビの報道に疑問を感じ、同局を退社した。

 軍最高評議会は15日、国営テレビを通じ、憲法改正などを軸にした民政移行計画を発表。軍は同日、ベテラン記者らとも面会し、民政移行への進ちょく状況を報道するよう求めた

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こんな記事もありました。ちょっと時間が無いので強調はなしで。
コラム:エジプト・メディア復活の兆し (al-Quds al-Arabi紙)

http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20110215_184520.html
コラム:エジプト・メディア復活の兆し
2011年02月14日付 al-Quds al-Arabi紙

■ジャズィーラとアラビーヤへ、エジプト人が来るぞ

2011年02月14日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

過去60年ほどの間、アラブ・メディア界は二大潮流の間を行きつ戻りつしていた。エジプトと、東のレバノンである。どちらも各々特徴をもち、政治情勢によって片方が先んじ、自由の度合いによってもう片方が高波にのるという風にしのぎを削ってきたが、ある時点で目に見えて衰退した。エジプトの場合は、体制が腐敗し、国家の大望から逸脱して主導的役割から退いたためである。レバノンについては、内戦のため民主主義の試みは後退し、治安は安定せず、政治派閥が抗争を続けたためである。

この二大潮流衰退のすきに、第三の潮流として湾岸勢が登場した。彼らは国境を越えてアラブ・メディアを、最初は紙面で、次に衛星放送の形で発展させた。莫大な石油収入がその発展に貢献している。ロンドン、ドーハ、ドバイ、何処であれ彼らは多国籍のメディア専門家、ライター、編集者、アーチストを大勢雇用できる。この30年ほどは、この潮流(基本的にサウジ)がアラブ・メディア地図を完全に制覇していたといえる。

しかし、ここ数日革命の進展を伝えるエジプト・メディアは、それまでの均衡を覆し、失っていた主導的役割を取り戻しつつある。新しい精神とより高度な自由を得、エジプトのメディアを職業的に極めて低水準へ落としていた体制の抑圧から解き放たれつつあるのだ。

変革の軌道に乗り始めた伝統あるエジプト紙『アル=アハラーム』が、昨日重要な一撃を放った。我々アラブ紙としては前例のないことに、彼らはそのトップで、「腐敗体制に偏向していたこと」について留保を付けずエジプト国民に謝罪し、同時に「常に正当な要請の側にたち、このイスラーム共同体の良心であり続ける」ことを誓約したのだ。また、「後進的で強圧的な勢力を滅ぼした全ての清浄な血を讃える」として、殉教者の遺族に許しを求めた。

このような言葉が、かつて大国として様々な時代に、周囲、特にメディア分野で影響を及ぼしてきた国の始まりとなることを願う。しかし、為政者やその親族、政府の太鼓持ちとならず、国民に従うならば、報道機関の構造とその指導者たちを見直さなくてはならない。

つまり、長らく前大統領の気晴らしにつき合いおべんちゃらを言ってきたメディアと新聞指導層が、今や全霊をあげて「革命屋」になろうとし、ほんの数日前まで傀儡呼ばわりしていた若者たちや彼らの革命の擁護者を気取っているが、それで人々に信頼されているなどと期待するのはお門違いということだ。

革命を挫折させようとし、エジプトとその富を犠牲にして体制にお世辞をつかってきた者たちは、自分たちの書いたものや発言についてだけではなく、長年世論を欺いた対価として得たものについても、清算しなくてはならない。

じわじわと広まるエジプト・メディア革命は、もしそれが続かず変革の目的を果たせないというなら、エジプトの顔は変わらず、生活のさまざまな分野での更なる蜂起の下地をつくることもないだろう。アラブ地域の枠組みを回復するためには、民主的変革を支持するしかない。腐敗した独裁政権は、王制であれ共和制であれ打倒されるべきだ。

この30年でアラブ・メディアは多様化し、エジプト問題についても、体制からの支援を得て独裁政権への偏向を示すもの、その腐敗体質や犯罪行為を報道するものと立場が分かれるが、エジプト・メディアがそれらに応酬することはなかった。彼らは、国や資本の持ち主、政府の同盟者たちにより沈黙を強いられていたからだ。

やや性急に鐘を鳴らしたのはエジプトのジャーナリスト、ハーフィズ・アル=ミーラーズィーだ。『アル=アラビーヤ』の衛星放送番組「カイロ・スタジオ」で、彼は、これまで『アル=ジャズィーラ』や『アル=アラビーヤ』がエジプトの汚職をとりあげてきたように、エジプト・メディアがカタールやサウジの状況について語る時が来たと述べたのだ。

革命成功のためには、エジプト・メディア内で「浄化」の手続きが行われなくてはならない。30年間メディアのイメージをゆがめ、職業的、倫理的にそのメッセージを逸脱させてきた濁り水をすっかり吐き出すべきだ。エジプト国家機関がその節々にたまった膿を取り除こうとして「浄化」作戦を行っているのと同じように。

抑圧と強権の果てに、急速に、だが確実に、メディアの新たな夜明けが迫りつつある。エジプトのテレビ新聞で見られた、前政権の権力中枢に対する同業者たちの革命を通じ、我々はその前兆を察知した。また、不能に陥る国営、半国営メディアにかわり、勇敢なエジプト民間メディアが、エジプト国民を解放した革命の起爆剤として多大な役割を果たしたことを認める。本紙は、エジプトの人々が、アラブ・イスラーム共同体とその信念、公正と平等の原則のため、変革を成し遂げると信じていた。従って、メディア革命の予兆も大いに歓迎し、その立役者たちを支持するものである。

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(翻訳者:十倉桐子)
(記事ID:21511)