奥山真司さんの著作を途中まで読んで。

世界を変えたいなら一度

世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおう

なんですけど(ご本人もこの題名はやめてもらおうとしたらしいのですがw)、簡単に言うと「私の専門としている戦略学は、あなたの生活にも役立ちますよ」という本です。

ただちょっと途中話が見えにくくなってる気がしたので(単純に用語の混乱?)、そこについて自分なりに考えた事を書こうかと。

まずp26

欧米社会は、自国の有利になるようなルール作りをする

ですが、これに関しては異論はありません。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

も読んでいたので、アメリカが様々なルール作りをし、それを日本でも有効にしようという熱意(?)は理解できます。
p30の

自国の利益を守るためには、「世界」という一番高いレベルでルールを作ろうとする。

というのもそう思います。

で、p31

環境を作り出す欧米人、環境を受け入れる日本人

ここでは広い意味の環境ではなく、環境問題が主に語られていますが、
環境を作り出す欧米人→勝てる
環境を受け入れる日本人→負ける
といっているんだと思います。
で、二章に入るわけですが、世界の戦争が起こった原因を推測した様々な文を読んで、3つの原因にまとめたバークレー校名誉教授のケネス・ウォルツ(1924〜)の話で、それが
・人間の本質が原因=ファーストイメージ
・組織が原因=セカンドイメージ
・国家や環境が原因=サードイメージだそうです(P58くらいから引用)。
しかしp60にこうかいてあり、環境と言う言葉が同じ意味で使われてないのではないかと混乱しました。

まず、最も大きな枠組みであるサードイメージについて考えて見ます。
サードイメージは基本的に自分の置かれている状況や環境のせいにすることです。
たとえば、「世の中の景気が悪いからだ」「若者にとって不遇な時代だ」というように「環境」を主眼において考える事です。よく景気をものすごく気にする人がいます。そんな人たちは、今社会はこういう状態で、若者の何パーセントの雇用がないといいます。
しかし私が思うに、あなたが生き残る上で、世間の状況なんて関係ないのです。

ここを読んで環境を作り出す話はどうなったんだろう?と思ってしまいました。おそらくこれは
p63には

(セカンドイメージの話として)組織を変えろだとか、仕組みを変えろだとかいうものは、個人としては手のつけようがありません。とくに20代や30代の人にとっては、正直関係のない話です。

とあり、さらに p72

自分を変えるということは、サードイメージとセカンドイメージを分かった上で、ファーストイメージを持ち続けないと、単なる思い込みで終わってしまうのです。

で、はじめて環境よりもファーストイメージという話に説得力が出てくる気がします。30代(ぎりぎりw)の自分としてはサードイメージとセカンドイメージは上の人にしっかり語ってもらい、理解したうえでファーストイメージを固めろということですかね。ちょっとここら辺が見えにくいかなと。

またp77もちょっと混乱します。

サードイメージもセカンドイメージも関係ありません。全ては自分自身にあるのだと知ったとき、本当のビジョンや思想といったものが生まれてくるのです。

ファースト→サードイメージはだんだん視野が広くなっていきます。三章ででてくる戦略の階層(http://geopoli.exblog.jp/18904655/ に図があります) も上に行けば行くほど、視野が大きくなってくる。ここでビジョン(世界観)とは、一番上なんですよね。この二つの階層の関係をどうとらえたものか。

まぁそんな疑問点をまとめたところで続きを読みたいと思います。

と思ったけど、追記p72

サードイメージとセカンドイメージを分かった上で、ファーストイメージを持ち続けないと、単なる思い込みで終わってしまう

という点ですが、キリスト教でも17世紀のデカルトが出てくるまでは、真理には信仰心によってのみ到達できるみたいな考えがあったそうですし、1798年にナポレオン軍に攻め込まれたエジプトでも、彼らはキリスト教徒ですらなく、よく言って自らの知識を磨く事によって信仰とするという人間だろう。だが彼らが信じている物の中には迷信としかいえないものもある。信仰心がなければ知識も迷信になってしまうみたいな言葉がありました。
追記:上のイスラムの方の言葉の引用元を見つけましたので、記しておきます。

かくて、あなたは知る事になろう、かれらが唯物的な立場から神の全能を疑うものたちであり、来世と復活を非難し、預言者使徒の存在を信じないものたちだということを。かれらは、前世の存在を、天界の影響を、周期的な運動をともなう宇宙の現象を、宗教共同体(ミッラ)の出現を、王朝の交代を、天体の合の必然的な性格を、そして対立する物の融合を語る。また、おそらくは霊魂の輪廻や、そのほか幽霊とか、それに類した幻影とか、さまざまな迷信を信じている。かれらが従う信念とは、理性が命じるところであり、魂が欲望に照らしてよしとする事である
ジャバルティー 1994 pp26-28

ジャバルティーにとってなによりも守るべきは、信仰である。信仰に対立する物として指摘されているのは理性である。信仰に基かない理性は迷信でしかない。そして、「各自が自らの理性を磨くことをもって宗教とする」とはジャバルティーにとって、迷信に突き動かされる事にほかならない
イスラムvs.西欧」の近代p85 加藤博

追記終わり

キリスト教徒は大航海時代で自ら海外に行って、イスラム教徒は突然ナポレオン軍に攻め込まれて、サードイメージが壊れてしまうわけですが、その中で中間の組織(セカンドイメージの組織)は、何を個人(奥山さんはファーストイメージを個人と読み替えています)に提供すべきか、というところなんでしょうねぇ。