イラクにシーア派優遇の地盤が揃ったのは2010年かな。

8/16日のエントリ■イラクのマリキ首相が続投を断念したようで、復習。の結果です言いたいことは題名のとおりですが、「イスラム国」が昨今のシーア派優遇に反発しているといいますが、2010年は米軍撤退の事に目が行っていて、選挙の事を追っていませんでした。
ニュース系サーチエンジン(イラク イラキヤ|イラキーヤ|法治国家連合|イラク国民同盟 @cdate STRRX 2010)
をざっと読めばだいたい分かると思うのですが、ピックアップしてみました。

ポイントは、2009年のエントリ■<イラク>イスラム教シーア派最大会派が分裂 新会派結成でで、マリキ首相のアッダワ党も参加していた会派「統一イラク同盟」から「イラクイスラム最高評議会(SIIC)」が抜けて「イラク国民同盟」を結成し分裂した所辺りから始まります。

ピックアップは上の検索結果から、
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まとめると、マリキ首相の法治国家連合は第2勢力になった。第1勢力はイラキーヤ(国民運動)で指導者はシーア派のアラウィ元首相の世俗勢力(スンニ派からも支持が多かった)、第3勢はシーア派有力政党「イラクイスラム最高評議会」(SIIC)を中心としたイラク国民同盟と、なんだかんだ時間がかかったが最高裁が認めた。

最初第1勢力を無視して、第2勢力と第3勢力で連立を組むが議席が足りないためそれ以外の会派とも連立交渉が必要だった。

次に第2勢力は第1勢力と手を組もうとしたが、第1勢力が大統領職を要求したり、マリキ首相が第1勢力のことを「スンニ派の勢力」と呼んだ事に、宗派間の対立を煽ると謝罪を求めたりとしているうちに流れた。

最終的にサドル師がマリキ支持を打ち出したことで第1勢力を軽視した第2、第3勢力の(シーア派の)連合が出来た。これで約9ヶ月かかり、しかし閣僚のポストは埋まりきっていないと。

サドル師というのは、■反米闘争継続を=イランから帰国後初の演説―サドル師のサドル師ですね。リンク先の下の方にサドル師に関するまとめがあります。

また、2011年になるとイラキーヤのハシミ副大統領に逮捕状が出たりします。
ニュース系サーチエンジン(イラキーヤ|イラキヤ 逮捕状) @cdate STRINC Dec 2011

またムトラク副首相の更迭を要求とかも有りますね。とにかくここらへんから宗派間の対立が大きくなっていったものと思われます。