ブット元首相「帰国し総選挙戦う」 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070715-00000071-san-int

 亡命生活中のパキスタンの野党パキスタン人民党議会派総裁、ブット元首相が13日夜、ロンドン市内で講演の際に産経新聞などの取材に応じ、「逮捕されるかどうか分からないが、総選挙を戦うため帰国したい」と明言した。

 モスク(イスラム教礼拝所)籠城(ろうじょう)事件の武力鎮圧についてブット氏は、「軍事政権が長く続いているため民衆はモノが言えなくなり、過激派を助長させている」と、民主化の必要性を指摘。米国の仲介でムシャラフ大統領が陸軍参謀長を辞職する見返りに首相に返り咲くのではとの密約説については、「いかなる取引もしていない」と明確に否定した。(ロンドン 木村正人)

ブット元首相というとたとえばこんな記事↓とか
2004/07
北朝鮮からミサイル技術購入」 パキスタン元首相証言
http://www.asahi.com/international/update/0718/005.html

 パキスタンベナジル・ブット元首相は朝日新聞と会見し、在任中の93〜96年に北朝鮮から「長射程のミサイル技術を購入した」と証言した。当時、外貨獲得のために核技術を外国に売る提案が上がってきたことも明らかにした。また、ブット氏が首相になる前の軍事政権では「イスラムの国々に核を渡そうと交渉していた」とも語った。今年に入って明るみに出た「核の闇市場」はパキスタンの「核開発の父」カーン博士を中心とする「個人の犯行」とされているが、ブット氏の発言は核・ミサイルの売買やその計画が、遅くとも80年代から政権中枢を巻き込む形で動いていたことを示唆するものだ。

 滞在先のロンドンでこのほど会見したブット氏は「93年12月の北朝鮮訪問を経て、長射程のミサイル技術を入手することができた」と語った。

 80年代に射程300キロ程度の短距離ミサイルを実験していたパキスタンは、98年4月、隣国インドの大半を射程におさめる弾道ミサイル「ガウリ」の初の発射実験をした。パキスタン政府はこれまで「ガウリは国産技術」とし、北朝鮮との間では肩発射式の小型ミサイルの取引があっただけだと説明していた。ブット証言により、水面下の軍事関係が裏付けられたことになる。

 北朝鮮のミサイルと交換にパキスタンの核技術が譲渡された疑いが持たれているが、ブット氏は「核技術との交換はしていない。(北のミサイル技術は)金で買った」と強調した。

 ブット氏はまた、88年に初めて首相に就任した直後、核技術を輸出しないことを軍部と申し合わせたと証言。ただ、その後も「核を売れば巨額の資金を獲得できると提案してくる人たちはいた。しかし、実際に買う国は2〜3カ国で、せいぜい2億〜3億ドルにしかならない。やめよう、と説得した」と述べ、首相として許可しなかったものの、核輸出論が首相周辺では根強かったことを示唆した。

 核輸出の構想自体はブット氏就任前のジアウル・ハク大統領(77〜88年の軍事独裁政権)時代からあったといい、「当時の政権がイスラムの国々に核を渡そうと交渉していた、との報告を聞いたことがある」と明らかにした。

 パキスタン政府は今年2月、カーン博士らが「核の闇市場」を通じて北朝鮮、イラン、リビアに対し核技術を個人的に流出させたと発表。一方で、政府の関与は一切否定していた。

    ◇

 〈ベナジル・ブット氏〉 77年、ジアウル・ハク陸軍参謀長(後に大統領就任)による軍事クーデターで失脚し処刑された故ズルフィカル・アリ・ブット首相の長女。88年8月、ハク大統領が飛行機事故で死亡。直後の民政復帰選挙で勝利し、イスラム圏初の女性首相に就任。88年12月〜90年8月と93年10月〜96年11月の2次にわたり首相を務めた。99年に汚職などの有罪判決を受け出国。現在はロンドンなどに在住。パキスタン人民党党首。51歳。
(07/18 14:03)

で、欧米から見たら扱いやすい人なんですかね。まぁ

インド対パキスタン―核戦略で読む国際関係 (講談社現代新書)

インド対パキスタン―核戦略で読む国際関係 (講談社現代新書)

p162では、

カネはないが、パキスタン原爆の父・カーン博士という知恵袋を持っているパキスタン。その一方で、原油から生まれる莫大な利益を持ちつつも、知恵が無いためにイスラエルの核開発に焦燥感をつのらせていた中東のイスラム産油諸国。かくして70年代半ば、ブット首相の中東。アフリカのイスラム諸国への資金募集行脚が開始された。訪問先は、イラン、サウジアラビアアラブ首長国連邦、トルコ、シリア、モロッコ、エジプト、アルジェリアチュニジア、そしてリビアという多数にのぼった。

[...]リビアが提供を申し出た資金は5億ドルをかなり超える額だったと言われている。またカダフィ大佐は、ブット首相に対し「80億ドルを提供するから、開発に成功したらその第一号の原爆を譲って欲しい」と持ちかけられたといわれている。[...]ブット首相の側近は「首相は一貫して、わたしがそんなばかなことをするわけがない」と語ったといい、カダフィ大佐との"約束"は初めから履行する気の無い約束だったことを明らかにしている。

と書いてあって、上の記事の『実際に買う国は2〜3カ国で、せいぜい2億〜3億ドルにしかならない』というのとは、ちょっと違うようですが。