大統領が敗北を認めたギニアの「静かなる革命」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070712-00000010-cou-int

西アフリカのギニアで今年1〜2月にかけて起きた暴動は、世界のメディアではほとんど話題にならなかった。しかし今回は、アフリカ諸国に多く見られるケースのように、不満をくすぶらせた軍幹部がクーデターを企てたのではない。独裁者のランサナ・コンテ大統領に対し、一般市民が勝利を収めた反乱だったのだ。「労働組合と民衆からの圧力があまりに大きかった」と、アフリカに詳しいアナリスト、キッシー・アジエマンは言う。

コンテ大統領は、84年の軍事クーデターで政権を掌握して以来、ギニアに君臨してきた。同国はアルミニウムの原料ボーキサイトの世界屈指の産出国。その豊富な資源に目をつけた欧米企業からの収入で、国家財政は潤沢だった。一方で国民は年々深刻化する貧困にあえぎ、ついに限界に達した。暴動のきっかけは、コンテが首都コナクリの刑務所を私的に訪れ、収賄罪で服役中の親友2人を釈放したことだった。

労働組合と反政府勢力は、健康不安を抱える大統領の早期退陣を求め、ゼネストを呼びかけた。当局による弾圧は容赦なく、59人が命を落としたが、その大半は武装していない市民だった。

結局、「労働組合などとの合意に基づく」新首相を指名するという合意が結ばれ、ストライキは中断された。しかし、コンテは腹心の閣僚を首相に指名。2度目のストライキはデモに発展し、市民と軍隊が激しく衝突した。

治安部隊は100人以上のデモ参加者を射殺し、全土に戒厳令が敷かれた。ケルファラ・カマラ陸軍参謀長は、記者会見で、兵士の暴行に関する調査委員会を設立したと語ったが、地元メディアは調査委員会の実効性を疑問視した。治安部隊員が重犯罪で起訴された例は過去になく、昨年6月に非武装の学生13人が銃撃された件でも、誰も責任を問われなかったからだ。

しかし、ギニア市民社会はすでに目覚めていた。2月末、議会は珍しくコンテの意向を無視し、戒厳令の延長を否決した。一方、治安の悪化で、首都コナクリは事実上封鎖。主要産業である鉱山も操業停止となった。ストは時を追うにつれ拡大していった。

そしてついに、コンテは市民の力に屈した。先の首相指名を取り消し、労組と反政府勢力が推薦する候補を任命することに合意したのである。ギニア東部の都市カンカンでは、数千人の若者が「コンテに死を」と叫び、民衆の勝利を宣言した。

一連の事態に、動揺したアフリカの独裁者も多かったことだろう。今後、彼らが若者たちによって権力の座から引きずり降ろされるということも、ありえない話ではないかもしれない。

ニュー・ステーツマン(UK)より。

ギニアで今年1〜2月にかけて起きた暴動は、世界のメディアではほとんど話題にならなかった』ということですが、見てみると
2007/01
首都などで反政府デモ、死者27人に=ギニア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070123-00000004-jij-int

 【ロンドン22日時事】アフリカ北西部ギニアの首都コナクリで22日、コンテ大統領の退陣を求めるデモ隊に向かって警官が発砲し、参加者17人が死亡した。デモは過去2週間にわたって行われており、衝突による死者はこれで計27人となった。

AFP通信が目撃情報などを基に伝えた。 

2007/02
ギニアの太鼓に魅せられ、若者が「退避勧告」無視
http://www.asahi.com/international/update/0217/007.html

 治安悪化よりも民族楽器のリズム――。西アフリカの太鼓「ジャンベ」に魅せられてギニアに滞在中の若者が、外務省の「退避勧告」を無視して現地の日本大使館やホームステイ先にとどまっている。大使館閉鎖の可能性もあり、外務省は国外に出るよう懸命に説得を続けている。

西アフリカの伝統楽器の太鼓「ジャンベ

 ギニアでは今年に入って首都コナクリや周辺でゼネストが相次ぎ、教育機関や商店が閉鎖。1日18時間の外出禁止令と戒厳令が出ている。デモ隊と治安部隊との衝突で、今年の死者はすでに110人を超えた

 16日現在の在留邦人は62人だが、うち半数が太鼓を習うために来た20〜30代前半の男女。大半が格安チケットを利用し、「便を変更すれば飛行機代がかさむ」「治安が回復するまで太鼓を習いたい」などと話しているという。11人は、大使館に寝泊まりしている。

 ジャンベは丸太をくりぬいた杯形で、牛やヤギの皮を張る。05年の愛知万博ではギニアの「ナショナルデー」に登場し、演奏やダンスが披露された。学校の交流事業や民族音楽ブームで親しむ人が増えている。

って感じですね。