タリバン活発化 国境部族協力 財源はケシ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070729-00000058-san-int

 【バンコク=菅澤崇】アフガニスタンイスラム原理主義勢力タリバンのテロ活動が、急速に活発化している。背景にあるのは、パキスタンとの国境付近にある部族地域の人々の協力と、ケシ栽培の取引で得られる潤沢な財源だ。

 パキスタンの北西辺境州にはアフガニスタンとの国境沿いに部族地域が広がる。タリバンと同じ民族のパシュトゥン人が多く居住し、潜伏したタリバン兵が監視を受けずに両国を往来しているとされる。中央政府の支配が及ばず、部族の「おきて」に基づく統治が行われている。

 「タリバン兵らしき若い複数の男が自動小銃を手に小型トラックの荷台に乗って走り去る。数十年前のカラシニコフ銃を肩から下げた老齢の治安部隊は確かに見かけるが、どう戦うのか」と、部族長に近い関係筋は言う。同筋は「親タリバン地域では政府の治安部隊も手が出せない」と見る。

 財源の基盤は違法麻薬の原料となるケシだ。世界の供給量の9割以上を占めるアフガンのケシ栽培には、タリバンが深くかかわっている。国連薬物犯罪事務所(UNODC)の統計によれば、昨年タリバン残党が多いヘルマンド、ナンガルハール州など南部6州で生産量が急速に伸び、今年も記録更新は間違いないとみられている。政府は野菜など代替作物の栽培を奨励してはいるが、タリバンがかかわる利息が年率数百%という融資を受けてもなお実入りがいいケシ栽培に、貧困層が流れるのを止められない

 イランの影もちらついている。アフガニスタンからの報道によると、匿名の議員の話として、旧ソ連の南下政策に対抗して作られたムジャヒディン(イスラム戦士)養成所が、イランの支援の下で反アフガニスタン政府の軍事訓練施設に様変わりしたという。また、米国務省のマコーマック報道官は先月、イラン政府の関与については言葉を濁した上で「タリバンにイラン製の武器が供給されている」としている

なんだかんだ言ってイラン非難に結びつくんですな。パキスタンの問題の方が大きい気がしますが。

イラン非難のまとめはこちら↓からたどれます。
イラク攻撃、ヒズボラ戦闘員が関与 「イランが糸」米が非難
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20070703/1183466059

パキスタンに関しては今日の記事があります。
タリバン活発化 パキスタン 高まる「反政権」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070729-00000056-san-int

 【イスラマバード=佐藤貴生】籠城(ろうじょう)事件で100人以上の死者を出したパキスタンの首都イスラマバードの「ラル・マスジード」(通称・赤いモスク)が27日、再びイスラム過激派と政権側との衝突の舞台になった。イスラム原理主義勢力タリバンの「聖域」ともいわれるパキスタン北西部の部族地域でも、籠城事件後、戦闘などが絶え間なく続いており、ムシャラフ政権に対するイスラム過激派の反発が各地で強まっているようだ。

 パキスタンの英字紙各紙によると、アフガンと国境を接する部族地域では22、23の両日、タリバンに共鳴するイスラム過激派と治安部隊が交戦となり、過激派メンバー35人と治安部隊兵士2人が死亡した。26日にも検問所がロケット弾で襲われて3人が死傷し、27日には路肩爆弾の爆発などで7人が負傷した。

 過激派は部族地域で、政府側兵士に「死のギフト」を送ると書いたビラを配布。「5000ルピー(約1万円相当)の給料などよりも、死を愛する」自爆テロの候補者がいるなどとしている。

 一方で、パキスタン政府軍の掃討作戦も成果を収めつつあるようだ。24日にはクエッタ南東部の町で、パキスタンの過激派の中でも有力幹部と目されるアブドラ・メスード司令官が政府軍の襲撃を受け、自爆により死亡した。

 メスード司令官はペシャワルの学校に通学していたさいにアフガンのタリバンメンバーと親交を深め、アフガンでタリバンとともに戦っていた1996年、地雷により片足を失ったとされる。2004年3月に釈放されるまで、2年以上をキューバグアンタナモ米軍基地で過ごし、出所後は部族地域の過激派を率いていた

 部族地域の地元政府は「ローカル・タリバン」とも呼ばれる過激派側との和解のため断続的に会合を開いている。しかし、大きな進展が見られないのが実情だ。

パキスタンはどうなってるのか状況把握するだけで難しいですね。政権側にも動きがあるようで、

苦境打開狙うムシャラフ大統領、政敵・ブット元首相と会談
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070728id22.htm

 【イスラマバード=佐藤昌宏】28日付のパキスタン各紙は、ムシャラフ大統領が27日、訪問先のアラブ首長国連邦アブダビで、有力野党パキスタン人民党(PPP)総裁のベナジル・ブット元首相と会談したと一斉に報じた。

 モスク(イスラム教礼拝所)立てこもり事件や続発する報復テロなどで、政治力が低下している大統領が苦境打開のため、政敵の元首相に急接近した形だ。会談では、11月に任期満了となる大統領が再選への協力を依頼したが、合意には至らなかった模様だ。

 両者の直接会談は、大統領が権力を掌握した1999年10月以来、初めて。大統領側が持ちかけ、2人だけで行われたという。

 報道によると、大統領は会談で、次期任期でも陸軍参謀長を兼務することに理解を求めたうえで、見返りとして、元首相に対する汚職などの訴追を撤回し、首相ポストの提供を打診。これに対し、元首相が大統領の軍ポスト兼務に難色を示したため、合意には至らなかったものの、交渉は継続される見込みという。

 元首相は、90年代後半からロンドンなどで事実上の亡命生活を送っている。その一方で、来年初頭までに行われる下院選への出馬を目指し、早ければ9月の帰国を目指してきた。

 大統領と元首相の水面下の交渉は昨年12月ごろに開始されたが、今年5月に死傷者約200人を出した南部カラチの政治暴動で、PPPに多数の死傷者が出たため、元首相が態度を硬化、一時は決裂も取りざたされた。だが、元首相は今月中旬、本紙との会見で、大統領側と接触を続けていることを明らかにしていた。

 今回、異例の会談が行われた背景には、5月の暴動以降、野党側が結束、大統領が政治的窮地に陥っていたことがある。

 さらに、大統領から職務停止を言い渡されていた反大統領派のイフティカル・チョードリー最高裁長官が今月20日、最高裁の命令で職務復帰。同長官が野党側と協力し、大統領の再選戦略を法的に認めない動きを見せ始めていたことも、直接会談を急がせた理由とみられる。

 大統領は28日にも次の訪問先のサウジアラビアで、ブット元首相と同様に事実上の亡命状態にある野党指導者のナワズ・シャリフ元首相の弟と会談するとの情報もありパキスタン政情が急展開する可能性もある。

 一方、27日の直接会談に続く夕食会には、米国の外交官も同席したとされる。

 モスク立てこもり事件以降、イスラム原理主義の影響がパキスタンで強まるなか、ムシャラフ政権の最大の後ろ盾となっている米国は、野党の中で最も世俗色の強いPPPを取り込むのが政権の基盤強化に最適として、直接会談を後押したとみられる。

(2007年7月28日21時44分 読売新聞)

モスクろう城:「降伏」合意後に軍が突入 大統領側がほご
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20070716/1184548961
あたりからムシャラフ大統領立場が危ない感じですね。