<ケニア>暴動被害深刻なリフトバレー州、民族対立が泥沼化(+詳しい記事見つけたので)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080108-00000079-mai-int
記事は毎日新聞も、おなじかな記事はYahooから。
http://mainichi.jp/select/world/mideast/news/20080109k0000m030021000c.html

ケニアの詳細地図
 【エルドレット(ケニア西部リフトバレー州)で白戸圭一】大統領選を巡って混乱するケニア暴動被害が最も深刻な西部リフトバレー州に7日入った。襲撃対象となったキバキ大統領の出身民族キクユ人の住民や地元の人権団体職員は、同州内での襲撃について、対立する地元のカレンジン人の村々の首長らが選挙の混乱に乗じ実行した組織的犯行だったと証言した。民族対立は泥沼化している。

 同州には元々、カレンジン人が住んでいたが、政府が70年代にキクユ人の集団入植を進め、現在は混住する。両者は土地所有などを巡って以前から対立し、大統領選ではキクユ人がキバキ氏、カレンジン人が野党「オレンジ民主連合」のオディンガ氏を支持して緊張が高まっていた。

 エルドレット近郊のシレット村には選挙結果発表(30日)の翌日午後1時ごろ、近隣の村々のカレンジン人の若い男約200人が押しかけ、キクユ人の家々に放火した。同村のキクユ人の小学校副校長、ピーター・カグタさん(45)宅にも男たちが来たが、中にかつての教え子がいた。

 カグタさんによると、教え子は「村長らが出席した会合でキクユ人を襲うことが決まり、動員された」と告白し、襲撃対象のキクユ人の名が書かれた紙を見せた。カグタさんの名もあったが、教え子は「先生を殺すことはできません。早く逃げて下さい」と言い、立ち去ったという。カグタさんは「暴動は周到に準備された」と言う。

 エルドレット近郊のキアンバ村では1日、キリスト教会が放火され、避難していたキクユ人約30人が殺害された。現場にいた地元の人権団体「RPP」職員、ヘンリー・マイヨさん(39)は、放火の様子をノートに克明に記録していた。

 記録によると、キアンバ村に隣接するカレンジン人の村から他の村々へ「集合」するよう伝令が走り、カレンジン人数百人が教会前に集まった。リーダー格の男が「教会を焼く」と宣言し、何人かは放火に反対し教会内のキクユ人の子供を外へ逃がそうとしたが、そのまま火は放たれた。

 カレンジン人のマイヨさんは「カレンジン人有力者の中には入植者のキクユ人を追い出したいと考える人がおり、大統領の不正選挙でキクユ人の立場が弱まるのを狙って襲った。でも、なぜ子供まで」と目頭を押さえた。

ケニア情勢詳しいことはいずれ明らかになるんでしょうけど、やはりひどそうですね。上の地図エルドレッドは西の方にあるEldretでしょうね。

ケニア>キバキ大統領、野党・オディンガ氏と直接会談へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080108-00000078-mai-int
毎日新聞も記事おんなじかな。記事はYahooから。

 【ナイロビ白戸圭一】ケニアキバキ大統領は7日、大統領選の結果を巡り対立する野党「オレンジ民主運動」のオディンガ候補と会談する意向を表明した。オディンガ氏側は7日夜、8日にケニア入りするアフリカ連合(AU)議長のクフォー・ガーナ大統領の同席があれば会談に応じると述べ、対話による事態収拾へ向けた動きが強まっている。

 会談は11日になる見通しで、実現すれば先月27日の大統領選後初の直接対話となる。連立政権樹立を呼びかける大統領に対し、オディンガ氏は大統領の辞任と再選挙を要求。両者の主張には隔たりがあり、クフォー議長の調停案が注目される。

 ケニア政府は7日、暴動の死者が486人に上ると発表。AFP通信は警察幹部の話として、死者は少なくとも600人と伝えている。暴動は7日も一部地域で散発的に起き、襲撃を恐れるキクユ人の避難が続いている。キムニヤ財務相は同日、暴動の損害が国内総生産の約4.7%相当の10億ドル(約1100億円)になるとの推計を明らかにした。

偉い人達の行動と、上の記事のエルドレット近郊の人たちの行動って本当にリンクするんでしょうか。よくわかりません。

どうもケニア情勢は日本語だと毎日新聞しか情報ないのかな。"オレンジ民主運動 カレンジン人"でググルと一件しかヒットしません。その一件
ケニア:暴動ルポ 「安定国家」に亀裂 「大統領が民族の対立構造作った」
http://mainichi.jp/select/world/news/20080107ddm007030112000c.html

 ムワイ・キバキ大統領(76)が「再選」されたケニア大統領選。最大野党「オレンジ民主運動(ODM)」のライラ・オディンガ候補(62)の支持者らはキバキ陣営の「不正選挙」に怒りを爆発させ、大統領の出身民族キクユ人を狙った暴動や治安部隊との衝突で300人以上が殺害された。アフリカでは珍しい「安定国家」ケニアを揺るがした暴動の背景と今後の見通しを現場から報告する。【ナイロビ白戸圭一】

 ◇「不正選挙」が引き金

 「現場の職員と連絡が取れない。不正が行われているかもしれない」

 先月27日の投票日から2日後、開票作業が続く中、ナイロビの選管本部で記者会見したキブイツ選管委員長の言葉に、数百人の報道陣は耳を疑った。開票作業の真っ最中に、選挙の最高責任者が部下を統括できていないと告白したのだ。

 この後、不正の懸念は急速に深まる。

 29日時点で、オディンガ氏はキバキ大統領に約30万票差を付けてリード。全210選挙区のうち、開票作業が続く30選挙区の結果が待たれていた。ところが翌30日、キブイツ委員長は大統領側がオディンガ氏に約23万票差で逆転勝利したと発表。オディンガ氏は結果の受け入れを拒否した。

 現地に監視団を派遣していた欧州連合(EU)は「選挙は国際的水準に達していない」との声明を発表し、キバキ陣営による票の水増しなど不正の疑いを指摘している。

 オディンガ氏の支持者は投票当日から、「不正」を感じていた。同氏が圧倒的な支持を誇るナイロビのスラム街・キベラ地区の投票所では、投票開始時刻の午前7時になっても有権者名簿が届かず、投票を待つ人の行列は約1キロに達した。

 投票は午前8時半ごろようやく始まったが、今度は登録したはずの自分の名前が有権者名簿に載っていないと訴える住民が続出。「野党つぶしだ」「選管は買収されている」などと声を荒らげる人々で投票所は大混乱に陥ってしまった。

 結果発表当日。キベラ・スラムから爆発音とともに火の手が上がった。記者が駆けつけると、こん棒やナタを持った数百人の若い男たちが、奇声を発しながらスラム内の商店に火を付け回っていた。治安部隊は当初、傍観していたが、暴徒がスラムに隣接する高級住宅街へ突入しようとすると、催涙弾を次々と発射。暴徒は散り散りになった。

 暴動はナイロビ市内の他のスラムをはじめ、西部のニャンザ州やリフトバレー州、東部のコースト州などオディンガ氏の地盤で同時多発的に発生した。暴徒の標的は大統領の出身民族であるキクユ人だった。

 ◇キクユ人優遇に怒り

 「店が焼かれ、危なくて家に帰れない。ずっと仲良く暮らしてきたのに、どうなっているんだ」。キベラ・スラムで新聞販売店を営むキクユ人、ピーター・ムトゥロさん(45)は、焼き打ちされた店を片づけながら怒りに声を震わせた。

 ケニアには44の民族があり、暴動で標的になったキクユ人は総人口の22%を占める最大民族。オディンガ氏は第3の民族ルオ人(総人口の13%)だ。

 ケニアは63年の独立以来、民族対立による内戦やクーデターを経験しておらず、アフリカでは極めて珍しい「安定国家」だ。それだけに特定民族が狙われた今回の暴動は国内外に大きな衝撃を与えた。

 78年から02年まで強権政治を続けたモイ前大統領は、少数民族カレンジン人だった。少数派のハンディを克服するため、特定の民族を偏重しないよう細心の注意を払い、結果的に民族間の融和を促した面もあると言われる。

 「キバキ大統領の政治手法は、社会に『キクユ人対他民族』という新しい対立構造を作ってしまった。民族が違っても仲良く暮らしていたケニア社会を壊したのはキバキ氏自身だ」。別の少数民族テソ人でODM選出の国会議員、ソスピタ・オジャモング氏はそう指摘する。

 「ケニア山のマフィア」−−。02年の大統領選で初当選して以来、キバキ氏と取り巻きのキクユ人側近たちは地元メディアからそう呼ばれている。大統領の出身地が国内最高峰のケニア山に近く、山の周辺にキクユ人が多く住んでいることからその名がついた。

 06年2月に発足したキバキ改造内閣では、閣僚30人のうちキクユ人は7人のみで、民族間の融和に配慮したかに見える。だが、実権はミチュキ地方政府・治安担当相ら少数のキクユ人側近らが握り、重要な意思決定は閣外で行われていると言われている。

 ケニアの経済成長率は年6%を超えるが、貧富の差も拡大している。暴動が起きたキベラ・スラムでオディンガ氏を支持するゴードン・オコスさん(22)は「大統領は一部のキクユ人を優遇し、貧しい者には何も回ってこない。オディンガに懸けるしかない」と怒りをぶちまける。

 大統領に対しキクユ人以外の貧困層が抱いていた不満は、「不正選挙」を機に爆発し、暴力の矛先は、政治とは無関係のキクユ人たちにも向けられた。

 ◇与党は大敗、治安流動化

 オディンガ陣営は一連の混乱の解決策として、キバキ大統領の即時辞任と再選挙を求めている。大統領が要求に応じる可能性は低いが、辞任したとしても暴動を機にケニア社会に生じた亀裂は深く、治安の不安定な状態が続きそうだ。

 暴動被災者の救援に当たる赤十字国際委員会の東アフリカ地区担当者は3日、スイスのテレビ番組で「(住民同士の)憎しみのレベルは非常に高い。民族間の憎悪に基づく暴力は最悪だ」と指摘した。住民の間には相互不信の感情が根付いてしまっており、元の生活に戻ることは非常に難しい。

 キバキ大統領が現職にとどまり続けたとしても、事実上の「レームダック(死に体)」となるのは避けられず、治安維持は難しいとみられている。

 レームダック化を端的に示しているのは、大統領選と同時に実施された国会議員選挙(定数224。うち直接選挙による改選は210)の結果だ。大統領の与党「国民統一党」の獲得議席はわずか37で、1期目のキバキ政権で閣僚を務めた議員が22人も落選。「ケニア山のマフィア」と称される有力議員からも5人が落選する大敗ぶりだった。

 一方、オディンガ氏のODMは104議席を獲得し、国会の主導権を握った。他の小政党からもODMに合流する議員が出ている。大統領は2日、暴動への対応のため全議員に緊急会合を呼びかけたが、出席者はほとんどなく、指導力低下を印象付けた。

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 ■ことば

 ◇ケニア

 63年に英国植民地から独立。独立闘争を主導したケニア・アフリカ民族同盟(KANU)の一党支配が続き、91年の複数政党制移行後もKANUが政権党にとどまった。02年の大統領選でキバキ氏が当選。初めて政権交代が実現した。大統領任期は5年。憲法は3選を禁じている。人口約3600万人。首都ナイロビは東アフリカ経済の中心で、主要産業はコーヒー生産、観光関連業(野生動物見物)など。

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 ◆ケニア大統領選関連年表◆

02・12    キバキ氏が大統領に初当選。独立後、初の政権交代が実現

05・11    大統領提案の憲法改正案が国民投票で否決。キバキ氏の指導力低下

07・12・27 大統領選挙投票。キバキ、オディンガ両氏の事実上の一騎打ち

      29 選管委員長が記者会見で「現場と連絡が取れない」と述べる

      30 選管が「キバキ氏当選」を発表。各地で暴動が激化

08・ 1・ 1 西部リフトバレー州で教会が焼き打ち。全土で死者300人以上に

       3 オディンガ陣営の抗議集会が政府に禁止される

       4 暴動が沈静化

毎日新聞 2008年1月7日 東京朝刊

キクユ人対カレンジン人という対立ではないんですね。これより詳しいのは日本語では見ない気がします。

自動トラックバックのために過去の記事貼っておきます。
ケニア暴動、全土で25万人が避難民に…国連発表
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20080105/1199560035