ダライ・ラマの後継者決定方法 ダライ・ラマ本人の意見など。

ダライ・ラマ14世に聞く「ここ数年で一番、緊迫している」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071119-00000937-san-int

 日本滞在中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は19日、名古屋から横浜に移動する新幹線の車中で、産経新聞との会見に応じた。ダライ・ラマは現在の中国チベット自治区や周辺のチベット族居住地区の情勢について、「ここ数年で最も緊迫している」と述べて、ダライ・ラマの帰還を求めるチベット族住民やダライ・ラマの米議会名誉黄金章受章を祝うチベット仏教の僧侶らの活動に対し、中国当局武装警察部隊を出動させ、多数の住民、僧侶を投獄するなど弾圧を強めていることを明らかにした。

 また、ダライ・ラマは自身の後継者である第15世の選出方法について、中国側の干渉を懸念し、死後に後継者を探す伝統的な「転生(生まれ変わり)」制度ではなく、存命中に後継者を決定する方法の可能性を検討していると述べた。この場合、後継者はチベット民衆の「精神的指導者」として、
(1)チベット仏教の高僧から民主的に選出する
(2)自身が後継者を指名する
−などの方法が検討されているという。

 中国はダライ・ラマに次ぐチベット仏教第2の指導者、パンチェン・ラマ10世が1989年1月に死去した際、ダライ・ラマ側が認定したパンチェン・ラマ10世の生まれ変わりの少年を認めず、新たに中国側が探し出した少年を後継者として認定している。

 一方、ダライ・ラマは自身の政治的な役割を徐々に減らすという「政治的な引退」についても言及し、インドのチベット亡命政権では、すでに2001年から政治的な活動に責任をもつ「首席大臣制度」を採用していると述べた。首席大臣は任期5年で2期10年まで在任が可能。

 ダライ・ラマは「私はすでに政治的には半分引退しており、亡命政権の最高顧問的な立場であり、亡命政権の政治的な決定は私の手を離れている」として、今後は宗教的な活動に精力を傾注していく立場を明らかにした。(相馬勝)

数日後の記事
【グローバルインタビュー】ダライ・ラマチベット情勢、最も緊迫」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071125-00000910-san-int

 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(72)は、訪日中に産経新聞と会見、現在の中国チベット自治区や周辺のチベット族居住区の情勢について、「ここ数年で最も緊迫している」と懸念を表明した。ダライ・ラマチベット帰還を願う民衆や10月中旬のダライ・ラマの米議会名誉黄金章受章を祝うチベット仏教僧侶に対し、中国当局武装警察部隊を出動させ、多数の住民、僧侶を投獄するなど、弾圧を強めているのだという。ダライ・ラマは自身の政治的活動からの引退や、存命中の後継者決定などにも言及、チベット仏教の伝統的な転生(生まれ変わり)制度にこだわらない考えも示した。一問一答は次の通り。

 ――あなたは今年5月に米大学で講演、「ここ数年以内に完全に引退したい。今はすでに半分は引退している」と述べている。あなたはチベット社会で最も影響力ある人物であり、完全引退は難しいと思うが、数年以内にどのようにして引退するつもりか。引退した場合、次の指導者をどのようにして決定するのか

 「ダライ・ラマという宗教的な立場は生涯、変えることができない。つまり、宗教的には、ダライ・ラマは引退できないということだ。ただ、チベットの民衆が私の引退を望めば、私はいつでも引退する。まあ、これは冗談だが…。私が米国の大学で語った「半分引退」というのは、主に政治的な役割についてだ。

 私が1959年3月にチベット自治区のラサからインドに逃亡し、難民の立場になってからは、それ以前に比べ、いくつかの変化が生じている。つまり、徐々にチベット社会の民主化を進めてきたつもりだ。私は92年、ダライ・ラマ制度など将来のチベットの政治形態に関する指針について、インドに居住するチベット民衆らに対し、私の考えを公表した。ダライ・ラマ制度を続けるのかどうかについて、チベットの人々の民意に問うというのが、その根幹だ。

 私が政治的に引退するということもそれに含まれており、2001年に亡命政権で「首席大臣制度」を採用し、現在のサムドン・リンポチェ首席大臣を選出した。任期は1期5年で、2期10年まで在任可能だ。リンポチェ氏は現在2期目の2年目で、あと4年足らず任期が残っている。彼の後は、また新たな指導者が選出されることになる。

 私は、この制度が導入されてからは、亡命政権の最高顧問的な立場であり、政治的な決定は私の手から離れている。しかし、宗教的には、そうはいかないだろう。はっきりとしているのは、チベット文化とチベット仏教の継承は、絶対に継続していかなければならない問題だということだ。これは、ダライ・ラマ制度とは全く別の問題だ。

 また、私は1992年に、チベットの政治形態に関する指針とは別に、中国・チベット間の諸問題を解決するため、
(1)私が将来、中国に帰還する
(2)中国政府がチベット自治を与える
(3)チベット自治政府の指導者は選挙で決定する
−などの提案を公表している。それゆえに、ダライ・ラマの存在自体にかかわらず、政治的な指導者の選出は今後も継続していく」

 ――あなたは今年10月に、米メディアに対し、自身の存命中にダライ・ラマ14世の後継者を決定する可能性があると語っている。後継者は、ダライ・ラマの「生まれ変わり」を探すという従来の「転生制度」ではなく、ローマ法王のようにチベット仏教の高僧の中から選出する方法が検討されているという趣旨だが、どのようにして後継者を決定するつもりなのか

 「私は20年も前から、自身の後継者問題を考えてきた。チベットの民衆がダライ・ラマ制度の存続を望む場合の可能性のひとつとして、私が側近らと検討してきたのが、私が存命中に次のダライ・ラマを選出するということだ。
(1)チベット仏教の高僧から民主的に選出する
(2)自身が後継者を指名する
−などの方法が検討されている。ただ、これはあくまでも可能性の問題であり、私と側近数人の集まりで協議されたもので、チベット民衆全体に公表して、その可否を問うという本格的な段階には至っていない」

 ――中国政府は今年9月1日、チベット高僧らの転生(生まれ変わり)について、中国政府の許可を得なければならないという「チベット仏教活仏転生管理規則」を導入した。可能性とはいえ、あなたが存命中に後継者を選ぶという方法を検討しているのは、中国政府の管理規則の導入と関係があるのではないのか

 「中国の決定と私の後継者問題とは全く関係がない。歴史的にみると、(チベット仏教に理解があった)清朝時代には、皇帝ですら、チベット側が行った活仏(生き仏)の生まれ変わりの決定には従った。ダライ・ラマパンチェン・ラマに限らず、活仏の後継者の決定には、チベット民衆の同意が必要だ。その際、チベット民衆は皇帝に、「活仏の転生に口出ししないで下さい」と頼み、皇帝はそれを承諾して、転生の決定に従った」

 だが、現在の中国共産党政権に、チベット民衆が『口出ししないで下さい』と頼むことはできない。そうしてもむだだから。中国政府は信用されていない。このため、中国政府がどんな規則を出そうとしても、チベット民衆には関係がなく活仏の転生にも関係がない」

 ――中国は、ダライ・ラマに次ぐチベット仏教第2の指導者、パンチェン・ラマ10世が89年1月に死去した際、ダライ・ラマ側が認定したパンチェン・ラマ10世の生まれ変わりの少年を認めず、新たに中国側が探し出した少年を後継者として認定した。あなたの没後、中国はパンチェン・ラマのケースと同じようなことをするかもしれない。その場合、チベット民衆はどうすればいいのか

 「中国政府が認定したパンチェン・ラマの後継者については、中国政府の官吏ですら、『ニセのパンチェン・ラマ』と呼んでいるほどだ。パンチェン・ラマ10世の後継者には偽物と本物がいる。

 中国が私の死後、後継者を選出したとしても、チベット民衆は支持しないだろう。それはチベット民衆の心が入っていないからだ。そのようなことは全くむだであり、何の助けにもならない」

 ――今年6月に北京で行われた、中国政府とチベット亡命政府との間の交渉はどうだったのか

 「進展は全くなかった」
 ――何が障害だったか

 「中国との交渉についていえば、開始当初の80年代初め、われわれはいくつかの希望を見いだしていた。時の最高実力者のトウ小平氏や胡耀邦中国共産党総書記とは極めて開放的に自由に討議できた。彼らは改革志向であり、われわれは本当に強い期待を抱いていた。

 だが、86年末から87年初めにかけて、中国全土の大学で民主化運動が起き、胡耀邦総書記が失脚した。中国国内の雰囲気は極めて保守的になり、チベット情勢にも反映され、89年にはラサなどに戒厳令が敷かれるなど、事態は非常に悪化した。

 交渉は2002年に再開され、ここ数年は中国政府の対チベット姿勢も緩和してきた。今年2月の第5回交渉まではいくらかの進展があり、友好的でオープンな雰囲気で話し合うことができた。第5回交渉では、中国側の代表は、ダライ・ラマチベットの独立を求めておらず、中国を分裂させるつもりもないということを分かっていた。

 ところが、6月の第6回交渉が決裂すると、中国側の態度は極めて強硬になり、私のことを「分裂主義者」と非難している。中国側はもはやチベット問題を話し合う雰囲気ではなくなっている。私は中国側に「現実を直視せよ。私には問題はない。私は独立も分裂も望んではいない」と言いたい。とにかく、次の交渉まで、われわれは中国側の変化を待つしかない」

 ――あなたが10月17日に、米議会から「議会名誉黄金章」を授与されたのに対して、中国政府は激しく反発している。チベット自治区や周辺のチベット人居住地域における現在の情勢はどうか

 「中国との第6回交渉が決裂して以来、チベット自治区などの情勢は極めて緊迫している。私が米議会から議会名誉黄金章を授与された当日の早朝、(自治区の区都)ラサで8000人の僧侶が居住している大きな寺院でチベット仏教の僧侶数百人が新年を祝う着物を着て、街中で受賞を祝福する活動を行っていた。

 これを見た中国側の役人が祝賀活動をやめさせようと警察に通報。4000人の武装警察官や人民解放軍兵士が出動、多数の僧侶を殴打し、数十人の僧侶が逮捕された。この騒ぎで、1000人以上の僧侶が寺院から出ることを禁止された。

 また、今年8月に四川省チベット族居住地区で行われた祭りで「ダライ・ラマの帰還を願う」と大声で叫んだ1人のチベット族男性が当局に逮捕されたことをきっかけに、数百人の民衆と警官隊が衝突、多数の民衆が殴打された。その数日後、軍兵士ら計約1万人が出動し、住民4000人の村を包囲し、不穏分子を次々と逮捕した」

 ――今年に入って、あなたはドイツのメルケル首相やブッシュ米大統領ら各国首脳と会談した。あなたは10回以上も日本を訪問しているが、日本の歴代首相は誰もあなたに会っていない。日本政府の態度にをどう思うか

 「日本の首相が私に会わないのは当然だと思う。私との会談は敏感な問題だ。日本は中国の隣国だから、私と会うことで都合が悪いこともあるだろう。私はそのことを理解しており、私にとって不都合なことは一切なく、全く問題はない。

 私が最も関心を持っているのは人間的な価値の追求であり、宗教の調和だ。さらに大切なのは、多くの一般の人々と会って話し合うことだ。私にとって、人々との出会いは非常に楽しいことだ。

 だから、困難を抱えてまで政府の要人が私と会う必要はないし、私にとっても何の問題もないことだ。私は政治には興味はない。多くの人々と会うことが私の楽しみだ」(相馬勝)

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引退というのは
ダライ・ラマ、米大学で講演し数年以内の引退を示唆
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20070510/1178800170
の事ですね。