ダライ・ラマを名誉市民に、パリ市長が議会に審議求める

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080417-OYT1T00073.htm

 【パリ=林路郎】パリ市のベルトラン・ドラノエ市長は16日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世を名誉市民に迎える考えを表明、市議会に審議を求めた。

 ダライ・ラマ北京五輪が開催される8月、パリを訪れる予定もあり、中国政府を刺激するのは確実だ。

 市長は声明で、ダライ・ラマを「平和の擁護者」と称賛し、「自らの基本権と名誉、自由、生命を守ろうとしているチベットの人々への支援を表明する」と述べた。市議会には21日に提案が上程される。
(2008年4月17日00時49分 読売新聞)

正直チベット動乱前は、
独首相、ダライ・ラマと会談へ 中国は猛反発
http://d.hatena.ne.jp/navi-area26-10/20070925/1190675620
とかはありましたが、フランスって目立たなかったような…

そういえばこんな記事もありました。
フランスを象徴? 筋金入りのデモ・スト大国 聖火リレーの翌日も…http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080409-00000919-san-int

 その少年はアッという間に、金髪をなびかせてバス停の屋根に飛び乗ると、オレンジ色と黄色が主体のチベットの大型旗を振りはじめた。

 シャンゼリゼ大通りを北京五輪の聖火が機動隊の大型装甲車などに囲まれて到着したときだ。エッフェル塔を正午過ぎに出発した聖火は、中国のチベット弾圧政策に反対するチベット支援団体や国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)などのデモで、予定より約2時間遅れで到着したが、大通りには聖火を見ようと人垣ができていた。

 道路には1メートル置きに警備の警官が防護服に身を固めて立ち、不穏な動きを見張っていたが、少年の動きは警官たちが制止する暇もないほどの早業だった。仏当局はこの日、フランスと中国の国旗の掲揚は許可したが、チベットの旗の掲揚は禁止していた。

 少年の動きに応えるかのようにビルの窓からも旗が垂れ、歩道をデモ行進していたチベット支援団体からも、「チベ、チベ!(チベットの仏語読み)」の声援が上がった。私の隣にいた中年の女性は小声で、「いざ、祖国の子らよ!」と仏国歌ラマルセイエーズを歌って少年を応援した。

 聖火を擁護する中国人の一行に対しては観衆から激しいブーイングが上がった。少年は警官が近づく前に身を翻して屋根から飛び降りると、支援団体ともども遠ざかっていった。

 1830年の七月革命を描いたドラクロワの傑作「民衆を導く自由の女神」には、右手にピストルを持った少年が描かれている。この作品をドイツのロマン派の詩人ハイネは「七月革命の真の姿が感知される」と絶賛したという。ハイネはフランスの市民的自由にあこがれてフランスに移住したともいわれている。

 チベットの旗を振った少年となぜか、この少年の姿が重なってみえた。というよりフランス人のデモやストは歴史と伝統に支えられた筋金入りと、ことの是非はともかく改めて思った。学校閉鎖での学生たちや工場ストでの労働者のバリケード作りの、なんと手際の良いことか。フランス人のDNAには「デモ」や「スト」の因子が刻まれているのではないかと疑ってしまう。

 サルコジ政権は公共サービスを最低限維持する「ミニマムサービス」法を制定したが、それでも交通機関のストが消えたわけではない。

 それにしても、デモがよく行われる国である。デモのない日がいったい、1年に何日あることか。聖火リレーの翌日は学校改革の反対の学生デモ。リレーの前日にはパリで数千人がコロンビア革命軍の人質になっているコロンビアの元大統領候補、ベタンクール氏の解放を要求してデモを行った。デモではカーラ・サルコジ大統領夫人が社会党のドラノエ・パリ市長と肩を並べ、クシュネル外相やヤド外務・人権担当相など閣僚も遠来のアルゼンチンのフェルナンデス大統領ともども行進し、党派を超えたデモ大国フランスを象徴していた。(山口昌子)

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人権問題に敏感なんですかね。熱しやすく冷めやすいでなければいいんですけど。