【疑惑の濁流】核開発、偽札づくり…浮かび上がる特定失踪者と国家事業とのつながり

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081228-00000558-san-int

 印刷工、医療技術者、原子力関連技術者…。北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)は、失踪者の職業や経歴、失跡状況などを特徴ごとに整理した「マッピングリスト」を作成している。いずれも「拉致被害者」としては認定されていないが、北朝鮮に拉致されたとするならば、狙いをつけて“対象者”を絞り込んでいたという推論も成り立つ。リストが示す特徴からは、北朝鮮が進めてきた悪名高い「国家事業」とのつながりが浮かび上がっている。

■偽札…「時間的な整合性」

 オフセット技術者や印刷工、写真印刷技術者など印刷関係の特殊な技術を持っていたり、印刷会社に勤務していた失踪者は10人いる。大半は昭和40年代にこつ然と姿を消した。

 外貨獲得のため、国家ぐるみで偽札製造にかかわってきたとされる北朝鮮。その偽札は50〜60年代から流通し始めてた。その前に、世界的にも名高い日本の印刷技術を持つ人たちが消息を絶ったという事実は、何を意味するのか。

 「使う目的は一つしかない。偽札づくりだ」

 こう推測するのは、調査会の荒木代表だ。「行方不明になった時期と、偽札が流通し始めた時期に、時間的な整合性がある」と説明する。

 「スーパーK」「スーパーノート」「スーパーX」…。1990年代以降、世界各国で流通が確認された偽ドル札。いずれも高度な技術が使われ、流通には北朝鮮外交官の関与も指摘されてきた。バージョンアップするごとに増す精巧さは、北朝鮮が絶えず技術改良を加えていたからにほかならない。

 北朝鮮は平成6年から約20回にわたり、日本で入手した偽ドル鑑定機を新潟−元山経由で搬入。並行して印刷用の特殊化学物質も運び込んだという情報を公安当局は把握しているほか、「偽札鑑定機を日本から共和国へ輸出した」と証言する在日商工人もいる。

 技術改良が進められていた一方で、昭和48年以後は、平成9年まで印刷関係の失踪者は把握されていない。

 「すでに人材養成ができたのか、他に分かっていない失踪者がいるのかもしれない…」

 荒木代表はそう話した。

■数々の不正輸出事件…モノだけでなくヒトも?

 原子力核兵器、ミサイル開発に欠かせない技術や知識を持った失踪者は19人。調査会が「拉致濃厚」とする河嶋功一さん=失跡当時(23)=は、関東学院大学の機械工学科を卒業して静岡県浜松市のメーカーに就職が決まっていたが、昭和57年に失跡。原子炉の燃料棒の出し入れなどに使われるロボットアームの研究を専門としていた。

 他にも、機械メーカーの技術者で、日本海側に立地する原発に勤務してた男性も行方不明となっている。

 彼らの失跡を、過去の北朝鮮がらみの不正輸出事件と照らし合わせると、新たな視点が浮かぶ。

 これまで北朝鮮が、日本を核関連物資の“調達先”と位置づけてきたのは、周知の事実。警察や経済産業省、税関が摘発、把握してきた多くの不正輸出事件からは、北朝鮮が核開発計画に従って着々と物資をかき集めてきた様子が鮮明となっている

 北朝鮮向けの輸出で摘発、把握された核開発に転用可能な物資は
直流安定化電源装置▽
周波数変換器▽
電子天秤(てんびん)▽
シンクロ・スコープ
−など。いずれもウラン濃縮やプルトニウム抽出の基礎研究段階では不可欠の資材とされる。

 こうしたモノの設置や使用には、「専門性の高い技術や知識が必要」(公安関係者)といい、調査会の杉野正治常務理事は北朝鮮は日本を物資だけでなく、専門知識、技術などソフトの調達地としても活用していたのではないか」

■人材ウオッチ、海外に及んだ可能性も

 技術者をめぐる失跡で興味深いのが、昭和63年に日本海へ漁に出たまま行方不明となった矢倉富康さん=同(36)=の事例だ。

 失跡の3年前まで、技術者として勤務していた「日本精機」(昭和59年倒産)は、精密工作機械「マシニングセンター」の国内トップ企業だった。

 マシニングセンターは、超微細な精度で金属を加工する工作機械で、ミサイルや艦船のプロペラなど兵器関係の製造には必要不可欠。矢倉さんは、このマシニングセンターのプログラミングから、部品の製作・加工・組み立て、メンテナンスまでをこなす優秀な技術者だった。

 同社が手がけていた精密機械には、旧ココム(対共産圏輸出調整委員会)の輸出規制に該当する製品もあったといい、付随する技術ノウハウも高度だったとみられる。

 高性能な精密機械について、「日本で3本の指に入る」といわれた技術・知識を持っていた矢倉さんの存在は、核・ミサイル開発を推し進めてきた北朝鮮にとって、「のどから手が出るほどほしい人材」だったことは想像に難くない。

 だが、調査会がこの失跡に注目するのは、それだけが理由ではない。

 矢倉さんは昭和55年前後、その高い能力を買われ、欧米やアジア、中近東などにたびたび出張。当時共産圏だったチェコスロバキアポーランドのほか、オーストリアにも技術指導などに訪れていた。

 当時、北朝鮮は友好関係にあった東欧諸国に、西欧へ向けての活動拠点を置いていた。東欧と接するオーストリアのウィーンは、日航機「よど号」乗っ取り犯グループらが反核活動の拠点としていたことで知られる。ウィーンを経由して北朝鮮に連れ去られた日本人拉致被害者もいる。

 出張中の矢倉さんにも「対象者」としての目が向けられていたのか…。杉野常務理事は、この推論の可能性を次のように補強するのだ。

 「日本国内の協力者にあらかじめ目を付けられ、日本人があまり行かない出張先で行動確認などをされていた可能性もある。東欧と取引ある会社自体が注目されていたことも考えられる」。

■北の発想は「人材が足らないから持ってくる」

 原子力や核、ミサイル開発関係の失踪者は、矢倉さんをはじめ、1970年代から80年代にかけて集中している。

 イスラム圏初の核保有国となったパキスタンで「核開発の父」と呼ばれ、核技術を売買する世界的な秘密ネットワーク「核の闇市場」を構築したとされる科学者カーン博士は、濃縮ウラン技術を1980年代後半に北朝鮮に提供し始めたとしている。ひそかに核開発を進めてきた北朝鮮。核の闇市場に深くかかわり、遠心分離器などの機材を入手してきたことはほぼ確実とみられている。

 では、それを扱う人材はどうしたのか?

 荒木代表は北朝鮮の「思考回路」を解説する。

 「そもそも、拉致をする北朝鮮の発想には、『足らないから持ってくる』という単純さがある」。

 北朝鮮朝鮮戦争時、韓国側から多くの技術者や知識人を連れ去ったことは有名だ。技術者ではないが、「北朝鮮の映画製作を指導してもらうため」との金正日総書記の意向で、韓国の女優、崔銀姫さんと、夫で映画監督の故申相玉さんが拉致された事件も名高い。

 荒木代表は、こうした背景を踏まえ、次のように言続けるのだ。

 「北朝鮮の技術の低さはすさまじいものがある。自力で精巧な偽札などをつくれるはずがなく、金だけで解決する問題ではない。どこからか人を連れてきたとしか考えられない。また、1980年代は韓国との国力差がはっきりした時期。北朝鮮は挽回(ばんかい)するために核開発にシフトし、人材育成を省くためために拉致したのではないか」

 マッピングリストから浮かぶ推論を裏付ける証拠が出てきた場合、北朝鮮が世界中で拉致を敢行した別の意味がみえてくる。

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あくまで推測の域を出ていませんが、まぁ大きくは間違ってないだろうと思います。