余録:邪馬台国論争

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20090608k0000m070099000c.html?inb=ra

 科学の目を駆使して、疑惑の核心に迫ったはずなのに、まだ証拠としての決め手に欠ける、ということらしい。冤罪(えんざい)を生んだDNA型鑑定の話ではない。古代史の謎、邪馬台国の所在地をめぐる論争である。

 大和中心の畿内地方にあったとする説で、女王卑弥呼の墓と有力視されてきたのが箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)だ。その築造年代を紀元240〜260年と特定した国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究成果が発表され、話題を呼んだのは記憶に新しい。

 築造期の土器に付着した穀物痕などをサンプルに、放射性炭素C14の崩壊状況から割り出したという。この年代は中国の史料・魏志倭人伝の記述から推定した卑弥呼の死亡時期とぴったり一致する。畿内説には願ってもない援軍だ。

 地域によってデータのばらつきが大きいとされる手法だから、年代誤差などの点で疑問や異議の声もある。大きな一石は投じたが、状況証拠で外堀が埋まった段階というところか。箸墓古墳は皇族の墳墓として宮内庁が管理し、直接の証拠集めが困難なのが、いささかもどかしい。

 箸墓古墳と同じ纒向(まきむく)遺跡に属する勝山古墳は8年前、出土したヒノキの年輪鑑定で「紀元199年プラス12年以内の築造」と判定された。ヒノキの成長パターンは長年の調査で、紀元前10世紀まで確定されている。放射性炭素年代法も今後データを蓄積して、より信頼性を増すだろう。

 かつては文献を読み解き、推理を積み重ねても幻にしか見えなかった邪馬台国が、こういった研究の積み重ねで実像をうかがえるところまで近付いた。科学の力を借りて、卑弥呼の裳裾(もすそ)に手が届く日を楽しみにしたい。

毎日新聞 2009年6月8日 0時02分

100年以上昔の歴史は追いきれんと思っている僕ですが、日本古代史の謎が明らかになっていくのはうれしいですね。