サヨはウヨを一括りで語り、その逆もあるが、なら中国が中国である事は間違いない。

いつも新聞記事という人のふんどしで書いてる僕のはてなダイアリーですが、チベット動乱後一ヶ月間欠かさずチベットネタを書き続けた記念というわけでも無いですが、新聞以外のネタを。

ネットなどを見てると
「普段は○○と言ってる人たちが、チベットの事となると××だ。」と言うような、意見を良く見るんですが、
例:
▼CLick for Anti War 最新メモさん
http://d.hatena.ne.jp/claw/20080413#p2

中国のチベット弾圧を批判する人は、なぜ反戦ビラへの弾圧を批判しないのか(@∀@)w

↑こういう物言いのくそったれぶりを理解した上で(@∀@)皮肉で書いてみるテスト。

まぁこのclawさんは皮肉で書いたと言う事ですが、この逆バージョン、ようするに「なぜ彼らはチベット弾圧を非難しないのか」も見るわけですが、いったい誰のことを語っているのか非常に不明です。

要するに「自分が気に食わない人間の間で支配的な意見をずっと見ていくと、矛盾がある」と言う事なんでしょうけど、「自分が気に食わない人間」は本当に同一人物なのでしょうか?

どちらかというと、(clawさんを槍玉に挙げる訳ではないですが、他に似たような文をどこで見たかもう忘れてしまったので)なぜ自分は、中国のチベット弾圧を批判する人と、反戦ビラへの弾圧を批判しない人を気に食わないのかを自問した方が良いんじゃないんですかね?

「いやさすがにチベット弾圧を擁護しないよ」と言う事であれば、自分は中国のチベット弾圧を批判する人と、反戦ビラへの弾圧を批判しない人の間になぜ共通項を見出すのかと言っても良いですかね。

ってこんな事を書くつもりじゃなかったんですけど、本当に言いたい事は、「本当に同一人物なのでしょうか?」の部分ですよ。それをさも同一人物であるかのように矛盾を見出すなら、少なくとも中国は今も昔も中国でしょう。

確か中国は、
1956年 メルボルン五輪
1960年 ローマ五輪
1964年 東京五輪
1968年 メキシコ五輪
1972年 ミュンヘン五輪
1976年 モントリオール五輪
1980年 モスクワ五輪
とボイコットしたのではなかったんでしたっけ?(間違いあれば指摘してください)

それをなぜ今回は「オリンピックを政治問題化するな」などといえるんですかね?どちらの意見をいう人も、ぜひそこを批判して欲しいです。