【日の蔭(かげ)りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 「国民のための政治」とは

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091115/stt0911150314000-n1.htm
 かつて民主党が結党されたころ、鳩山由紀夫氏は、しきりに「民主党は市民の政党だ」といっていた。平成9年に朝日新聞で鳩山氏と中曽根康弘元首相の対談が行われ、そこでも、「国民」という概念にこだわる中曽根氏に対して、鳩山氏は、「国民」という言葉を排し、これからは国境に固執する時代ではなくなり「地球市民」の時代になる、と述べている

 確かに、民主党が結成されたこの時期は、グローバル化の嵐の中で、やたら「地球市民」などという聞こえの良い、内容空疎な言葉が流行していた時代であった。さすがにそれから10年たって政権の座に就いた鳩山首相は「市民」とはいわない。かつては、「国民」を忌避して「市民」に固執していた民主党も、政権に近づくにつれ「国民」の語を使うようになった。そしてしきりに「国民のための政治」や「国民目線にたつ」などという。

 民主政治が「国民のための政治」であることは自明のことなので、ことさらに「国民のための政治を実行する」というのは奇妙な話である。言いかえれば民主党にとって従来の日本の政治は民主政治ではなかった、ということになろう。実際、彼らの結党の精神はまさにそこにあって、その党名が示すように、真の民主政治を実現するというのがこの政党の使命だ、というのが彼らの自己認識である。

 では、従来の日本の政治は何だったのか。官僚政治というわけだ。事実上、政治を動かしてきたものは選挙で選ばれた政治家ではなく選挙を経ない霞が関の官僚だという。ここで政治主導という言葉が登場してくる。政治主導による脱官僚政治の実現こそ民主党に与えられた最大の使命となった。

 政治主導などというと、政治家中心の政治で、政治家がやりたい放題を行う独善的政治を通常は思い浮かべるはずなのだが、民主党の政治主導は、政治家があくまで「国民のための政治」を行うものだ、という。そこで、マニフェストに過度にこだわることとなる。見ていていささか気の毒にも、また滑稽(こっけい)にも見えるほどのマニフェストに対するこだわりなのだが、それも、マニフェストこそが「国民との約束」だとみなされるからにほかならない。いささか滑稽なのは、実際にはマニフェストをすみずみまで検討して投票する「国民」などほとんどいないからである。すると、マニフェストとは、「国民のための政治」の単なるアリバイ工作に過ぎなくなってしまうであろう。

 さてそうなると、問題は「国民のための政治」とは何を意味するか、だ。実際、この肝心要のキーワードがきわめてわかりにくい。もっといえば、「国民」とはいったい何なのか。これは別に民主党に限らず、「国民主権」をうたう民主政治のもっとも枢要で、かつ最大の難点なのである。

 確かに、額面上、民主政治は「国民のため」にある。では「国民」とは何か。言いかえれば「国民でないもの」とは何か。民主政治は、ここに大きな一線を引くことに常に苦心し、「国民」を定義するために、「国民の敵」を生み出し、国民でないものを排除してきた。たとえば、古代ギリシャの民主政治は、奴隷と外国人を排除することによって成り立った。

 アメリカの民主主義は黒人やネイティヴを排除することによって成立した。フランスの民主政治は貴族や僧侶階級を排除することで成立した。イギリスの民主政治は、植民地支配の上に成り立っていた。かくて、民主政治は「排除の原理」と不可分なのである。

 で、民主党の唱える民主政治はどうなのか。いささかスケールは小さくなるが、それは「官僚」を敵対視することで成り立っている。今のところ、「国民」と「官僚」を敵対させることで、「国民」の一体化を図ろうというわけだ

 むろん、これが一種の見せかけであり、詐術であることはいうまでもない。確かに、官僚機構の機能不全という問題はあるものの、官僚は本来は「公僕(パブリック・サーヴァント)」なのだから、国民と敵対するはずはない。官僚機構と公僕精神の立て直しを図るのはよいが、脱官僚」など本当に進行すれば、不利益をこうむるのは国民の方である。このことをもっといえば、政治家と官僚との(あるいは、民主党自民党の間の)いわば権力争いにおいて、「国民のため」という言葉がご都合主義的に利用されている気がしないでもないのだ。

 鳩山氏は、首相ともなれば、さすがに「地球市民」などという歯の浮いた言葉は使わない。しかし、どこまで本気で「国民」という概念を使っているのだろうか。外国人参政権問題をみても、「国民とは何か」は大きな難問なのである。いくら「宇宙人」を自任するといっても、問題は「地球」ではなく「日本」なのだ。「日本」をどのような国にしたいのか、という将来像を提示しなければ本当の政治主導などできるはずはなかろう。(さえき けいし)

まぁ国民のためとか言いつつ外国人参政権を唱えたり、マニフェストと別に政策集INDEX2009 http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/ を出したりと突っ込みどころはあると思うのですが、佐伯啓思氏の本は

を読みました。僕の書いた要旨が
http://www.kanshin.com/keyword/558837
にあります。