イスラム世界の年表作ってみた(13世紀ぐらいまで)

http://www.asahi-net.or.jp/~KY6K-MRB/cropage.htm で、公開されている年表作成ソフトのフォーマットに合わせてあります(99は、年までしか分からないとき、月までしか分からないときは01日にしてあります)。基本的にWikipediaだけを参考にしています。

0610/99 2 この頃ムハンマドアッラーの啓示をはじめて受ける
0622/07/16 2 ムハンマドはヤスリブ(現在のマディーナ)へ逃れる。これをヒジュラという
0630/99 2 ムハンマド メッカを支配下におさめ、カアバ神殿よりすべての偶像を取り除く
0632/06/08 1 ムハンマド死去
0632/99 1 アブー=バクル 初代正統カリフ(ハリーファ・アル=ラスールッラーフ)となる
0634/99 1 ウマル・イブン・ハッターブ(ウマル1世) 第2代正統カリフ(アミール・アル=ムウミニーン)となる
0635/99 2 ダマスカスが征服される
0638/99 2 ウマル1世 エルサレムに入り聖なる岩発見
0644/11/03 1 ウマル1世 主人に個人的な恨みを持つ奴隷に刺され3日後死亡
0644/99 1 ウスマーン・イブン・アッファーン(ウスマーン)第3代正統カリフとなる
0650/99 2 この頃クルアーンが完成する
0651/99 2 サーサーン朝を滅ぼす
0656/06/17 1 第3代正統カリフ ウスマーンメディナでの暴動で殺害される
0656/99 1 アリー・イブン・アビー・ターリブ(アリー) 第4代カリフとなる
0656/09/01 2 9月はじめ、ムアーウィア、アリーに使者を送って事実上の宣戦布告
0656/99 2 アーイシャがメッカで挙兵し、第一次内乱始まる
0657/07/27 2 アリーとムアーウィア開戦(スィッフィーンの戦い)
0668/99 2 アリー、ハワーリジュ派とナフラーンで戦いこれを破る
0660/99 1 ムアーウィア(ムアーウィア1世)、エルサレムでカリフを就任を宣言
0661/1/27 1 アリー暗殺され、ムアーウィア1世が唯一のカリフとなる
0661/99 1 ムアーウィアダマスクスにて忠誠の近い(バイア)を受け正式にカリフとなる ウマイヤ朝の始まり
0670/99 2 ウマイヤ朝 新しい都市ケルアン(現チュニジア)建設
0680/99 1 ムアーウィア1世の息子ヤズィード、カルバラのムスリムフサインを虐殺(カルバラーの悲劇)
0683/99 4 アブドゥッラー・イブン・アッズバイル メッカでカリフに即位しウマイヤ朝から独立(第二次内乱の始まり)
0684/99 3 ナーフィウ・イブン・アズラクを指導者とするアズラク派バスラを占領
0685/99 1 アブドゥルマリク ウマイヤ朝第5代カリフとなる。金貨銀貨の鋳造、アラビア語の公用化など行う
0685/99 3 カイサーン派の指導者ムフタール イマームをマフディーと宣言し自らはカリフと名乗る
0687/99 3 カイサーン派の指導者ムフタールの作ったカイサーン派国家本拠地クーファを落とされ滅亡
0692/99 2 岩のドーム完成(イスラーム建築初の記念碑的な建築物)
0692/99 4 イブン・アッズバイル メッカで戦死(第二時内乱の終結)
0697/99 2 ウマイヤ朝東ローマ帝国からカルタゴを奪い、北アフリカのほぼ全域を支配 全盛期を迎える。
0699/99 3 アズラク派壊滅的な打撃を被る
0701/99 3 8世紀 ハワーリジュ派の穏健なイバード派マグリブにルスタム朝を興す
0705/99 2 この頃ダマスカスのキリスト教の教会をモスクに改造して設けたウマイヤド・モスクができる
0705/99 1 ウマイヤ朝第5代カリフ アブドゥルマリク死去
0710/99 2 ウマイヤ朝ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸
0711/99 6 ウマイヤ朝 西ゴート王国滅ぼす。モスキーヤの半分をモスクとする。ユダヤ教徒キリスト教徒と平等となった
0730/99 9 ハザール王国のブラン・カガンがユダヤ教に改宗
0737/99 9 ハザール王国がウマイヤ朝との戦争に敗れた後、イティルはハザール王国の首都となる
0740/99 2 ザイド・イブン=アリー ウマイヤ朝に対し武力蜂起
0743/99 1 ウマイヤ朝第10代カリフ ヒシャーム死去王朝の衰勢決定的に
0744/99 2 ウマイヤ朝最後のカリフ 首都をハッラーンに移す
0747/99 2 アブー・ムスリム8000人のホラーサーン人を率いて挙兵
0749/09 2 シーア派の非アラブ人による反ウマイヤ朝イラク中部クーファ入城
0749/99 6 スンナ派 ハナフィー派の三大学祖の一人とされるシャイバーニーがイラクに生まれるイスラームのグロティウスと呼ばれる
0749/11/28 1 アブー・アル=アッバースがカリフとして推戴された(10/30とも)シーア派は弾圧され今でも問題として残る
0750/01/01 1 ウマイヤ朝、マルワーン2世がエジプトで殺害されウマイヤ朝滅ぼされる
0750/04/01 2 ウマイヤ朝の都ダマスカス陥落
0751/99 5 アッバース朝軍 高仙芝が率いる唐軍をタラス河畔の戦いでやぶりシルクロード支配下に置く 紙の製法がもたらされる
0754/99 2 アブー・アル=アッバース死去 マンスール、功臣のアブー=ムスリムらを殺害
0754/99 1 マンスール アッバース朝第2代カリフとなる「神の代理人」使われるようになる?シャリーア完成させるなど
0756/99 4 イベリア半島後ウマイヤ朝建国「コルドバのアミール」を名乗る。多民族多宗教国家となる
0756/99 5 マンスール 唐に使者を送り友好関係を結ぶ
0762/99 2 マンスールバグダードに新都造営開始
0765/99 2 シーア派 生前後継者指名を取り消されていたイスマーイールを推す人々が分派してイスマーイール派となる
0766/99 2 バグダードの新都建設終わる サーサーン朝の旧首都に保存されていた学問が移植される
0775/99 1 マンスール メッカ巡礼に向かう途中で病死 不正を嫌い質素で国庫に大金を集めアッバース朝500年の基礎を築いた
0784/99 6 後ウマイヤ朝 メスキータのキリスト教会所有部分を買い取り建設工事始まる
0786/99 1 ハールーン・アッ=ラシード 第5代アッバース朝カリフに 学芸を奨励し対外的には絶頂期 バグダード産業革命以前の世界最大都市で人口は150万以上
0796/99 2 アッバース朝 宮廷をバグダードからラッカに移転
0797/99 2 アッバース朝 ハールーン 東ローマ帝国に1度目の親征
0800/99 3 イフリーキヤ(東部マグレブ地方)を支配したアグラブ朝起こる 首都ケルアンは、メッカ、メディナエルサレムに続く「天国への第4門」
0801/99 6 9世紀から10世紀にスーフィズムが起こり形骸化したシャリーアを批判した
0801/99 6 この頃?ジャービル・イブン=ハイヤーン 近代の化学の基礎を作りイスラム科学の黄金期の元祖となる
0803/99 2 アッバース朝 ハールーン 東ローマ帝国に2度目の親征
0803/99 2 アッバース朝 力を握りすぎたバルマク家追放後、後のマムルークの支配体制の端緒が現れる
0806/99 2 アッバース朝 ハールーン 東ローマ帝国に3度目の親征
0809/99 1 ムハンマドアッバース朝第6代カリフとなり、アミーンと名乗る
0809/99 2 アッバース朝の宮廷ラッカからバグダードに戻る
0810/99 6 ハディース学者、イスラーム法学者のムハンマド・アル=ブハーリー ブハーラーで生まれる
0811/99 2 アミーンが誓書の誓いを破り息子ムーサーを後継者とする意向を示し内戦となる
0813/99 1 アミーン捕らえられ殺害される
0813/99 1 マアムーン アッバース朝第7代カリフとなる。天文学・数学・医学・ギリシャ哲学に精通
0817/99 2 マアムーン シーア派十二イマーム派第9代イマーム アリーを後継者に指名 アッバース家やイラクの住民反発 各地で反乱
0819/99 2 マアムーン即位6年目にして、ようやくバグダードに入る
0819/99 6 この頃?アル=フワーリズミー、マアムーンに仕え数学と天文学の分野で偉大な足跡を残した
0821/99 7 ターヒル朝 礼拝のフトバからカリフ・マアムーンの名前を省き、事実上独立 初のイラン系イスラム王国 スンナ派
0821/99 8 この頃? ターヒル朝の頃ホラーサーンにはハワーリジュ派がいたらしい
0827/99 2 マアムーン ローマ帝国時代の「アルマゲスト」の翻訳・子午線弧長の測量を命じる
0830/99 6 この頃バグダードに「知恵の館」作られる ギリシャ語の翻訳 天文台 図書館など作られる
0830/99 2 この頃?フナイン・イブン・イスハーク知恵の館の主任翻訳官に 訳本にプラトン「国家論」アリストテレス形而上学ヒポクラテス ガレノスの医学書など
0830/99 6 この頃?哲学者キンディー知恵の館に呼ばれ翻訳により、ギリシャ哲学、特にアリストテレスの哲学を移入させる ムータジラ派の実質的な創始者とも言われる ムータジラ派はマアムーンにより公認とされ他の宗派は弾圧された
0833/99 1 マアムーン死去
0833/99 1 ムウタスィム アッバース朝第8代カリフとなる 各地で反乱が相次ぎ、財政難にもなる
0836/99 2 ムウタスィム 首都をバグダードからサーマッラーに移す マムルークのためや「暁の矢」に恐怖したためとも言われる
0841/99 2 『覆面の男』と呼ばれたアブー・ハルブらによる反乱がパレスチナやダマスカスなど各地で発生
0847/99 1 ムタッワキル アッバース朝第10カリフとなる 極端な保守派「現世における神の影」を名乗る。
0847/99 2 この頃?ムタッワキルによりキリスト教ユダヤ教徒は差別され知恵の館も衰える。ムータジラ派は弾圧される
0850/99 2 この頃?ハディース集編纂が行われスンナ派6書作られる
0856/99 6 カイロに移った天文学者のアルフラガヌス アストロラーベに関する著作を残す
0858/99 2 ムタワッキル 首都をサーマッラーからダマスカスに移す考えで居を構えるがすぐに放棄
0861/99 1 ムタワッキル 長兄ムンタスィルを冷遇し逆に暗殺される 以後カリフは名目上の存在と化す
0863/99 3 アグラブ朝最盛期
0864/99 7 アラヴィー朝(アリー朝、ザイド朝)、イラン北部のカスピ海南岸地域、タバーリスタン・ギーラーン・ダイラムなどに勢力を張る
0864/99 8 ギーラーンの東では、スンナ派ハンバル法学派が、西ではザイド派と分かれていった
0869/99 2 イラク南部の黒人奴隷、アラブ人アリー・ブン・ムハンマドを中心にザンジュの乱起こす
0873/99 7 サッファール朝 ターヒル朝からホラーサーンを奪取
0874/11 5 唐で黄巣の乱が起こり、唐のイスラム教徒居住区は大打撃を受ける また唐も全国王朝ではなくなる
0874/11 2 第11イマームが亡くなると同時に後継者ムハンマドが行方不明となる
0875/99 8 エジプトの支配者アフマド・イブン・トゥールーンがダマスカスを手に入れる
0875/11 2 サーマーン朝 アッバス朝のカリフの元でアミールを名乗る 独自の貨幣の鋳造など行った 首都はブハーラー
0883/99 2 独立政権を築いていたアリー・ブン・ムハンマド殺害されザンジュの乱は幕を閉じる
0891/99 3 ターヒル朝 バグダードの総督職が廃止され滅亡
0892/99 7 サーマーン朝 第2代アミールのイスマーイール・サーマーニーの時に最盛期
0892/99 6 この頃?サーマーン朝の首都ブハーラーは学問の中心となりアラビア文字で表記する近世ペルシャ語が発展
0893/99 7 サーマーン朝 カルクーク・テュルクの拠点であったタラズを落とすと同時に、ウストゥルシャナ朝を滅ぼす
0893/99 7 この頃?サーマーン朝 テュルク系遊牧民の子弟を奴隷として購入し、マムルーク軍人として西アジア全域に供給
0898/99 2 アッバース朝 トランスオクシアナの支配権をサーマーン朝ではなくサッファール朝に認める
0899/99 3 イスマーイール派のウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー)自らがイマームにしてマフディーであると宣言
0900/99 7 サッファール朝 サーマーン朝に敗北し、領土の大半を新たな支配者に割譲せざるを得なくなる
0900/99 7 サーマーン朝 タバーリスタンを支配していたアラヴィー朝を打ち破る
0900/99 8 アラヴィー朝のムハンマド・イブン=ザイド タバーリスタンより、ギーラーンに亡命
0901/99 2 10世紀の地理学者イブン・ハウカルは当時のコルドババグダードには敵わなかったが、エジプト、シリア、マグリブのどの都市よりも大きかったと伝えている
0901/99 2 10世紀頃 アッバース朝は金銀複本位体制から金貨の比重が高まる しかし金は足らず銀行業が発展し小切手が使われるようになる。また複式簿記が発明される
0901/99 6 アリストテレスの研究で知られる哲学者ファーラービー バグダード
0901/99 6 この頃?シリアのラッカの天文学者、数学者のバッターニー 三角関数、球面幾何学天文学など業績残す
0901/99 6 この頃?ペルシャ錬金術師、化学者、医師アル・ラーズィー エタノールの精製や麻疹・天然痘研究などで業績を残す
0905/99 8 ダマスカス アッバース朝の支配回復
0909/99 3 ウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー) チュニジアでカリフを名乗りファーティマ朝を興す
0909/99 3 アグラブ朝 ファーティマ朝に滅ぼされる
0909/99 3 この頃? シーア派イバード派のルスタム朝ファーティマ朝に滅ぼされる
0922/99 9 カリフ・ムクタディルの使節に随伴したイブン・ファドラーンによる『ヴォルガ・ブルガール紀行』が残されている
0928/99 7 アラヴィー朝 サーマーン朝に敗北し滅亡
0929/99 4 後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世「コルドバのカリフ」を名乗る
0932/99 2 当時少数派だったシーア十二イマーム派のブワイフの息子3兄弟 イラン南部ファールスブワイフ朝の原型作る
0945/99 2 西北イランに成立したブワイフ朝バグダードを占領し、大アミールに任命されイラク・イランを支配する
0950/99 7 この頃?レイ(ライイ、テヘランの前身)はファーティマ朝が各地に派遣していたイスマーイール派の宣教師のイランにおける中心的な拠点
0954/99 9 961年まで、後ウマイヤ朝ユダヤ教徒出身のワズィール、ハスダイ・イブン・シャプルトとハザールのヨセフ・カガンとの間で交わされた往復書簡が残されている
0968/99 9 キエフ大公国のスヴャトスラフ1世はハザールを破り、イティルの街を占領しこれを略奪
0968/99 9 ダマスカスは短い間カルマト派に占領される
0969/99 3 ファーティマ朝エジプトを支配下に収め、新都カーヒラ(カイロ)を建設
0971/99 9 ダマスカスは短い間カルマト派に占領される
0978/99 3 カイロにアズハル学院開講され、イスマーイール派広まる
0978/99 2 アドゥドゥッダウライラクの統治を安定させ、ブワイフ朝の最盛期をもたらす
0980/99 6 哲学者・医学者・科学者のイブン・スィーナーがブハーラーで生まれる
0983/99 4 ズィール朝 ファーティマ朝から事実上独立
0999/99 7 ガズナ朝、カラハン朝に挟撃される形でサーマーン朝滅亡
0999/99 6 サーマーン朝滅亡によりイブン・スィーナー祖国を去り放浪の旅に出る
1015/99 4 ハンマード朝 ズィール朝から独立し、さらにファーティマ朝と断交し、アッバース朝をカリフとして承認
1020/99 6 イブン・スィーナー『医学典範』の執筆を終え、同じころ『治癒の書』を書き始める。スコラ学に影響を与えた
1031/99 4 後ウマイヤ朝のカリフ死去 大臣たちによってカリフの廃位が決定され 後ウマイヤ朝滅亡
1037/99 2 セルジューク朝の祖トゥグリル・ベグはターヒル朝の首都だったニーシャープールに宮殿を造営
1051/99 4 ズィール朝 ファーティマ朝の宗主権を放棄し、アッバース朝カリフを承認
1051/99 4 ファーティマ朝 アラブ遊牧民ベドウィン)の大集団を送り込みズィール朝は甚大な被害
1055/99 2 セルジューク朝バグダードを占領してカリフからスルタンの称号を認められイラク・イランの支配権を握る
1056/99 4 ムラービト朝の成立年とされる、アッバース朝のカリフを認めつつ、アミール・アル=ムスリミーンと名乗る
1057/99 4 ズィール朝 首都カイラワーンを放棄しマフディーヤに移り都市国家に過ぎなくなる
1061/99 4 ムラービト朝 ユースフ・イブン・ターシュフィーンが君主となる モスク、潅漑路建設で「預言者ムハンマドと同様」という賛辞 マーリク派を公認とする
1062/99 2 最後のブワイフ朝政権がケルマーンで滅びブワイフ朝滅亡
1067/99 2 セルジューク朝のイラン人宰相ニザームルムルクは、シーア派勢力の拡大に対抗してスンナ派ウラマーを養成する必要から、バグダードティグリス川東岸にみずからの名を冠したマドラサ(ニザーミーヤ学院)を建設
1074/99 2 セルジューク朝のマリク・シャー 王都をイスファハーン に定めた
1074/99 6 セルジューク朝のマリク・シャー バグダード天文台を建設させる
1077/99 6 神学者、哲学者のガザーリー ニーシャープールのニザーミーヤ学院に赴き、法学と神学を学ぶ
1079/99 6 セルジューク朝 ジャラーリー暦制定
1085/99 6 ガザーリー ニーシャープールを去ってセルジューク朝の首都であったイスファハーンの宮廷に出仕
1090/99 4 ハンマード朝 首都カルアを放棄しビジャーヤに移る
1091/99 6 ガザーリー バグダードのニザーミーヤ学院の教授職を得る
1091/99 2 セルジューク朝 第3代スルタン アルプ・アルスラーンが亡くなりイスマーイール派のテロが増える
1094/99 3 ファーティマ朝カリフ後継者問題で 二ザール派 イスマーイール派から分派 特にシリアの二ザール派は暗殺教団と呼ばれる
1094/99 6 ガザーリー 教授職を捨て、スーフィーとなり旧蹟などを巡り修行の旅をする
1098/99 9 最初の十字軍国家エデッサ伯国 建国
1099/99 9 第1次十字軍エルサレム征服
1100/99 3 この頃から、二ザール派 ハサン・サッバーフによってアラムートからシリアにダーイーが派遣される
1100/99 6 この頃?ウマル・ハイヤーム 三次方程式の一般の解法、平行線の理論に対する批判書など、非ユークリッド幾何学に寄与
1100/99 6 この頃?ウマル・ハイヤーム すべての個別の出来事や現象が神的な介在の結果であるという見解に異議、自然の法則が、生命について観察されるすべての現象を説明するという見解を支持
1197/99 7 クトゥブッディーン・ムハンマド セルジューク朝によりホラズムの総督に任命され、ホラズム・シャーを自称
1107/99 4 ムラービト朝 ユースフ・イブン・ターシュフィーンが亡くなり衰退していく
1107/99 4 この頃?ムラービト朝 クルアーンへの問いかけや研究は断じてタブーとなり、ハディースですら、ゴミ同然
1147/99 4 ムラービト朝 ムワッヒド朝に滅ぼされる
1148/99 4 ズィール朝の最後のアミール、ハサンがマフディーヤを追われズィール朝滅びる
1152/99 4 ハンマード朝 ムワッヒド朝に滅ぼされる
1169/99 2 サラーフッディーンサラディン)が、ファーティマ朝の軍最高司令官と宰相の地位を兼任し、エジプトにおける全権を掌握して、アイユーブ朝を創設
1171/99 2 アイユーブ朝 ファーティマ朝を完全に滅ぼし、名目上はアッバース朝に臣従するという形式のもとにスルタンを称す
1171/99 6 この頃?イブン・ジュバイルによると、ダマスカスは多くの大学があり世界中から集まる者を歓迎した
1187/99 4 アイユーブ朝の始祖、サラーフッディーンサラディン)により、エルサレムイスラム側奪還
1200/99 6 12世紀を最後にイスラム世界におけるギリシア哲学研究は停滞し始める
1220/99 5 〜1222 ホラーサーン モンゴル帝国に蹂躙される メルブやバルフは復興しなかったほどの打撃
1221/99 5 ニーシャープール モンゴル帝国に破壊され住民は皆殺しとなる
1228/99 9 第6次十字軍 戦闘を交えることなく平和条約を締結。フリードリヒはエルサレム統治権を手に入れる。
1239/99 9 アイユーブ朝サーリフ 1239年にエルサレムを奪回 アジアからの奴隷兵であるマムルーク軍団の台頭が始まる
1256/99 5 アラムート城砦戦わず城砦をモンゴル軍に引き渡す 二ザール派はイマームを失う
1258/99 5 モンゴル帝国のモンケ・ハーン バグダード攻略 バグダードは破壊しつくされる
1260/99 5 1260年代モンゴル帝国の侵入と徹底的な破壊でラッカの歴史は終わる
1260/99 5 モンゴル軍 マムルーク朝にアイン・ジャールートの戦いで大敗。モンゴル軍はシリアから撤退
1291/99 9 エルサレム王国 アッカの港が陥落し、最後の十字軍国家消滅
1400/99 9 モンゴル人の征服者ティムールがダマスカスを攻撃 略奪 虐殺 奴隷など
1414/99 4 ポルトガルエンリケ航海王子アフリカ北岸にあるセウタ攻略戦に参加
1415/08 4 ポルトガル セウタ攻略完了 アフリカ一帯への進出を始める準備が整う
1492/99 4 イベリア半島の最後のムスリム勢力 ナスル朝無血開城により滅亡
1499/99 8 のちにサワヴィー朝を起こすイスマイール 亡命先のギーラーンより檄文を発す
1501/99 3 シーア派十二イマーム派を国教としたサファヴィー朝起こる
1501/99 2 16世紀 喜望峰経由でポルトガルが進出したため、イスラム商人の交易ルートは衰えた
1502/99 4 スペイン帝国カスティーリャ王国イスラム教徒に改宗を迫る法令が出される

まぁそれだけです。修正したらまたUpします。